* この物語はフィクションであり、登場する人物、企業、
団体、一部政府機関の名称は架空のものです(著者)。




第十二話




 ここで一旦視線をタイの隣国・ビルマへ移してみよう。
 開戦に先立ち、日本陸軍による凄絶な武闘訓練に耐えぬいた三十人のビルマ青年が、彼らの祖国独立運動を支援する南機関にともなわれ、訓練基地が設けられた台湾の玉里をあとにしている。その中にはかねてより反英運動で名を馳せていたタキン党書記長アウン・サンもおり、彼を首魁に戴くビルマ独立義勇軍が、開戦から間もない
十二月二十八日にバンコクで立ち上げられた。タイは、ひとえに日本の軍人ばかりでなく、祖国独立という大義の戦いに踏み切ろうとするアジアの男達にとっても重要な索源地だったのである。
 なお付け加えれば、ラノン事件で進撃が停まった日本軍になり代わり、のちに電撃作戦でヴィクトリアポイントを陥落させたのは、こうして創り上げられたビルマ人による軍隊で、攻略部隊の指揮官はウーナインという若い将軍だった。

 十二月二十二日。
 ソムチャイは、サイゴンの飛行場で白い象が描かれたタイ陸軍の輸送機に乗り込んだ。ラノン事件の収拾で、その名を騙った当の寺内元帥に陳謝を兼ねた報告をするため、サイゴンを訪れていたのであった。ところが離陸から数時間後、アランヤプラテート上空に差し掛かったあたりで三機の芋虫を彷彿させる鈍重な機影が接近してきた。イギリス軍のブリュースター・バッファロー戦闘機だった。開戦から二週間。ビルマ南端のヴィクトリアポイントを圏外に置くインドシナの制空権はこの時期、日本軍がほぼ完全に掌握しているはずだった。敵機はイラワジ川の西岸から飛んできたの
である。奢りきったイギリス戦闘機の群れは生殺しを愉しむかのように編隊をくずして三方から輸送機に襲い掛かった。12.7ミリ弾がぶすぶす音を立てて粗悪なジェラルミンに穴をあけていく。真一文字にならんだ弾痕から、無情な陽光がざくざくと硝煙が立ち込める機内を貫いた。何ら有効な反撃手段を持たないソムチャイは、絶体絶命の窮地に立たされた。
 刹那、三時の方向からとどめを刺すべく肉迫してくるバッファローが、突然翼の付け根から火を噴き出して、瞬く間に空中分解した。棚引く黒煙の残滓から眼線をずらして上空をあおぐと、積乱雲の頂のあたりからスマートな機影が滑るように急降下してくるのがみとめられた。速度は有に五百キロを超えている。速い。緑の鵬翼で日の丸が燦然とプリズム光線をはじきかえした。援軍はたった一機の新鋭機、一式戦闘機だった。逆落としの戦法で小手調べを済ませた同盟国のパイロットは、次の獲物を物色しながら飄然と輸送機の傍らを通り過ぎ、やおら機首を立て直していく。
 「ハヤブサだ!六十四戦隊だ!」
 どちらも白で描かれた所属部隊をしめす胴体の帯と丸い垂直尾翼の矢印を看てとって、命拾いを確信した大尉は手近にいた情報部付き下士官に呼びかけた。しかし歓呼の相槌は聴かれなかった。イギリス軍機の第一撃は、不運な下士官の生命の灯火を瞬時にし消し去っていたのである。目を見開き、鮮血にまみれた傍らの亡骸に合掌して、ソムチャイは表情を変えずに言明した、
 「見ているがいい。あの日本人が、きみの仇をとってくれる」
 隼は強かった。バッファロー戦闘機はこの日本の新鋭機に比べて、速度が遅く、格闘性能も格段に劣っていた。軽量な隼はひらりと機体を翻すと、僚機を撃墜されて狼狽の色を隠せない二機に低空から猛然と挑みかかった。隼が次に捉えた敵機のレジナンバーは、嗜虐的な第一撃を浴びせかけてきた機体のものだった。隼はただちに能動的な巴戦に持ち込んで、二回目の旋回でこれを討ち取った。尾翼の昇降舵が機能を失った被弾機のコクピットでパイロットは必死に脱出しようともがいていたが、破損した部品が引っ掛かって邪魔をしているのか、ついに風防がひらくことはなかった。バッファローはイギリス人の絶望の叫びを乗せたまま、濛々と黒煙を曳いて黄ばんだ水田地帯へ飲み込まれていった。生き残った一機は、あたふたと白い腹をみせて旋回し、はるかビルマの空へ逃げ去った。
 深追いを手控えた隼戦闘機は余裕たっぷりに翼を振って敵機を見送ると、ソムチャイの乗機に従い、同じ目的地であるドンムアン飛行場までのランデブーを決め込んだ。
 ドンムアンに降り立つと、ソムチャイは早速生命の恩人を探した。ところが滑走路のはずれに件の隼はすぐに見つかったものの、不真面目な面持の整備兵がひとり、端歌を口ずさみながら定速可変ピッチ2翅のプロペラを磨いているばかりで、肝心のパイロットの姿が見当たらない。
 英語やフランス語は堪能な大尉だったが、僅かな亡命期間ではじゅうぶんな日本語を覚えるだけの時間がなかった。整備兵に訊ねようにも言葉が通じない。戦前からバンコクに住んでいる顔見知りの日本人商社員が軍属通訳として飛行場に詰めていることを思い出すと、作戦室を訪ねた。薄緑の服を着る商社員は居合わせた下士官の回答を伝えた、
 「そのキ43の搭乗員は、おそらく島崎康吉曹長ですな」
 「シマザキ...」
 “キ43”とは一式戦闘機のコード名である。ソムチャイは初めて聞いたタイ人にとって発声が難しい苗字を正確に反芻していた。さらに商社員は同盟国とは言え、他国の軍人に対して機密漏洩すれすれの情報を提供した、 
 「曹長は先刻、仏印フコク島のズォンド基地から主力に合流するべく単機で飛んで来たばかりです」
 軍属の話しが終わりやらないところで、滑走路に十八機の隼が舞い降りてきた。この日、クアラルンプール上空で、邀撃して来たバッファローを十一機撃墜するという華々しい戦果を挙げて飛来した六十四戦隊の主力だった。ドンムアンにはこの日の宵の口、のちに歌に唄われることになる戦隊の精鋭が勢ぞろいし、あくる日決行されるビルマ方面への一大攻勢に備えて翼を休める手筈になっていた。ソムチャイはふと思った。自分の生命を救ってくれた男というのは、戦闘員であると同時にふだんは単機で主力と別行動する、つまりは何か特殊な任務に従事している下士官なのかも知れない。
 「おっ、ちょうどよかった。保田さん」
 軍属が呼ばわったのは、控所から十八機を出迎えに滑走路へ駆けていく地上要員の曹長だった。
 「ああん?島崎が二機のバッファローを撃墜したって?」
 軍属の話を聴くと、太い眉毛が特徴的な風貌の整備班長は、商社員とタイ軍士官をしげしげと見比べながら骨っぽい声で唸った、
 「初耳ですなぁ。司令部ではそのような戦果報告を一切受けておりませんぞ。だいたいあの男は陸軍一のへそ曲がりです。なんべん煩く注意しても、手ごたえのない敵の回向など報告するほうが面倒くさい、と言って、いつもそれっきり黙っているのです。まあ、あいつらしいと言えばあいつらしいのでありますが」
 すこぶる投げ遣りな解説が返って来た。敬礼して走り去る保田曹長の後姿を見送りながらソムチャイは、厳格な規律に支配されている日本軍人にしてはたいそう毛並みの変わった男だ、と思った。調べ事に長けた軍属は、その場で集めた情報を手早く整理していった、
 「島崎曹長はノモンハンの頃からずっと六十四戦隊だそうです。ソ連やシナのアメリカ義勇軍と戦い続けて、これまでの撃墜機数は判明しているだけで三十機以上にのぼります」
 「なるほど、腕は確かだった」
 「ところが先ほどの整備曹長も言っていた通り、札付きの天邪鬼でして、なかなか出世しないみたいです」
 日本軍の中では風評が芳しくない男だった。同類相憐れむ。タイ国軍の内部に敵の多い将校が未練がましく踵をかえすと、保田曹長がひとりの同僚を伴って引き返して来た。
 「こちらさんかえ、おれに用事があるって御仁は?」
 「無礼な物言いは慎め。タイ国陸軍情報部・ソムチャイ大尉殿だ」
 見るからに性格が対象的なふたりの日本人は手短に言葉を交わす。ややあって、
 「ハイ、キャプテン。アイム、サージェントマジョール・シマザキ。メイアイヘルプユー?」
 くだけた調子の英語がソムチャイに差し向けられた。上官に対する敬礼を捧げつつも、白いシャツの第一ボタンをはずし、飛行帽を斜めにかぶる島崎康吉は人を食ったような含み笑いを湛えていた。なんのことはない。それは先刻プロペラを磨いていた整備兵にほかならなかった。
 ちなみに、島崎康吉曹長の風貌は後世の島崎康士と瓜二つだったという。
 「貴官のお蔭で生きてふたたび大地に足を着けることができた。礼を述べたい」
 相好を崩しながら、ソムチャイも誠実に返礼した。
 「ああ、そうですか。わざわざご丁寧に。では、あっしはこれにて失礼します」
 「何か感謝の気持ちを形で表しておきたいのだが」
育ちのよい将校はプライドが高く、生命を救ってくれた相手に言葉だけで謝意を表すなど、とても自尊心が許さなかった。敬礼の姿勢をとったまま、隼乗りはにんまりと白い歯を見せた、
 「それじゃ、タイの食い物でいいから今夜の晩飯を食わせてくださいよ。日本じゃ、一宿一飯の義理は生命を投げ出すに値します。それですべて帳消しだ」
 お互いに明日の生命も知れない兵隊である。見るからに気位が高そうな将校に長く恩を感じさせるより、手っ取り早く「借り」を清算させてやろう、という心遣いだった。しかし余りにも率直な物言いだった。ソムチャイもついに吹き出していた。
 ソムチャイと島崎はどちらも二十九歳だった。組織も違うことだし階級抜きで友達になりましょう、とタイの士官が提案すると、島崎は、「では大尉殿のご命令に従いましょう」と答えている。
 「大丈夫なのかい、シマザキサン」
 自宅の向かいの食堂で自らもカオパッドを頬張りながらソムチャイは、脱走兵然とした連れの日本兵に訊いた。
 「戦隊長も憲兵も、おれの放恣は半分諦めていますからね。その点はご心配なく」
 店を切り盛りする中国人の青年とその妻らしい年増女が、妙にそわそわしながら顔なじみの大尉が連れて来た飛行帽の珍客を疑わしげに観察していた。何処の国の軍隊であろうと、営外へ出る時は航空兵も略帽を着用するのが普通である。ようするにバンコク市街でこんないでたちをしている島崎はすこぶる異様な存在だった。 
 「英軍は、年明けからタイ全土に本格的な爆撃を加える方針を纏めたようだ」
 おもむろにソムチャイは硬い話を切り出した。
 「災難ですね。御国は我が国の体のいい巻き添え、ってわけだ」
 鶏肉が入った豆腐と海苔のスープを旨そうに啜る下士官は平然とした調子で、本音を抉る台詞を言い放った。
 「戦争だ。それは致仕方ない」
 毅然とした面持ちで将校は続けた、
 「ピブン首相は蒋介石に大アジア主義の大局から日本と講和してともに英米の植民地勢力を駆逐すべし、と度々勧告電報を打っている。しかし中国大陸は相変わらず泥沼的な戦局が続いている」
 「人種戦争になったら、アメリカさんにとって、すこぶる都合がわるいでしょう」
 島崎は、はじめて戦闘機乗りらしい、いな、それ以外の何かをふくんだ厳しい面持ちになった、
 「黄色人種であるシナ人が連合国側に立って、ヒトラーやムッソリーニと手を結んだ日本人と戦っている。自分たちの傲慢無礼を棚上げするルーズベルトやチャーチルが望んでいるのは、反ファシズム戦争という筋書きの持続だ。ちがいますかね、大尉殿?」
 どうして部隊の指揮官や憲兵が、この型破りな一下士官の勝手気ままを黙認しているのか、情報活動に従事するインドシナの将校には、おぼろげながらその理由が見えてきた。この戦闘機を下駄代わりに使っている男には、通常の戦闘員として以外の任務が与えられているに違いない。鎌をかけてみることにした。
 「壁に耳あり障子に目あり。ここから先の話題は英語だと按配がよくないな」
 そこまで前置きして、ソムチャイは言語を切り替えた、
 「ワタシハ、スコシ、日本語ガ、ワカリマス」
 ところが島崎は声をひそめ、あくまでも英語で、
 「この店には日本語のわかる人間がいるんじゃありませんか?」
 と、横目で中国人の女房を盗み見た。
 自分がふたりの客の会話に登壇したことを察知して、支那服姿の女は泣き出しそうな面差しで店の奥へと駆け込んだ。南洋華僑が日貨排斥に血道をあげているさ中、女の島田髷には漆塗りの小さな簪が刺してある。どちらも日本の特産品だった。
 「なるほど。しばしば説明をつけにくい情景に出くわすのが、この街の日常だ」
 女の素性を知るソムチャイは、島崎康吉の眼力を確認して、英語に戻った。この下士官には、もう一つの顔がある。しかもそれは部隊長や憲兵司令部の了解事項である。しかし隠匿すべき身分の墨守に無頓着な男はなおもあっけらかんと言った、
 「どの道、この戦争は負けますよ」
 鳥の視点をもつ日本の航空兵は、連戦連勝、波に乗って勝ち進む日本軍の中にあって、冷ややかな目で趨勢を眺めていた。
 「世界の列強を敵に回していて緒戦の勝ちっぷりはずいぶん妙です。我々は単に肉を切らさせて貰っているだけの話しかも知れませんなあ。いやね、本音を言ってしまえば、この戦争で一番悪いのはマルコポーロっていうイタリア人だと思っていますがね。同盟国の偉人を悪く言うわけにはいかないが」
 ソムチャイは愉快そうに島崎の考え方を分析した、
 「なるほど、日本人もいい面の皮だ。マルコポーロが“黄金のジパング”などといい加減なことを書いたために、西欧の欲張りどもが東洋の侵略に乗り出してきた。この戦争は大航海時代に起因する」
 「はい。御意に」
 「ほんとうに、シマザキさんは変わり者だね」
 日本軍への面従腹背を決め込むタイ軍の中に在って、信念から日本と共に勝利する気でいる将校は、心底あきれ果てた顔で訊いた、
 「負けると解っている戦いに、どうして貴官は生命を賭ける?」
 「性でしょうか。男には勝てないとわかっていても生命を賭けなきゃならない時があるんじゃないでしょうかね」
 眩しそうにソムチャイは唸った、
 「先祖はサムライか?」
 「さあ。おやじは藍染めの職人でしたがね」
 からからと笑いながら、曹長は言った。
 
 あくる二十三日。六十四戦隊所属の二十五機は、九七式重爆撃機の編隊を護衛して、第一回ラングーン爆撃に出撃した。日本側は六機の爆撃機を失ったが、邀撃に上がってきたイギリス空軍機、アメリカ義勇軍の十機を手始めに、地上にあった連合国の航空戦力をほとんど殲滅している。しかるのち、めまぐるしい戦いを繰り広げる隼隊は、シンガポールに向かって快進撃を続ける第二十五軍を支援するべく、ふたたび北部マレイの要衝イポーへ転出していった。いかにも総力戦らしく、その堂々たる戦列には島崎曹長の機もふくまれていた。

 英領インドの東端ビルマ。ファイティングピーコック(闘う孔雀)をあしらった独立旗の波がぺグーの街を鮮やかに縁取っていた。熱気に包まれたロンジー姿の大群衆がタイ国境方面からやって来る数千の武装集団を歓呼の声で出迎えた。
 「ポモージョ来たる!」
 人びとは口々に叫びながら、行列の先頭を征く白馬で鐙を踏むタウングー王朝(十六〜十八世紀)の鎧兜で身づくろいした伝説の英雄に群がって行く。この国には、やがて東の方角から白馬に跨る雷帝(ポモージョ)が来臨し、ビルマを白人支配の頚城から解放するという言い伝えがあった。種を明かせば、白馬に跨るのは伝説の救世主ではなく、この伝承を叩き台にして民撫工作を試みる日本軍(南機関)の一大佐だったが、純朴なビルマ人はいよいよ祖国解放の機は到来せりと士気を鼓舞し反英の焔を燃え上がらせたのであった。
 騎乗の雷帝を護る三十人のビルマ青年の姿があった。海南島から帰還した面々である。「三十人志士」と呼ばれ、祖国独立にすべてを賭ける彼らは、名門の出身者が多かったけれど、基本的には門地の貧富に関わりなく、文武両道に秀でた素質で選ばれたエリート集団だった。
 雷帝のすぐ傍らに、雷帝計画を発案した一党のリーダー、アウンサンの顔があった。のちに社会主義計画党を率い、独裁のもとビルマに鎖国体制を敷くネウィンの顔もある。独立ビルマの初代首相バーモー博士の娘婿で、新生ビルマ首相候補の筆頭株に挙げられているウーナインの怜悧にして優しげな顔もあった。どの顔も剽悍で若かった。
 日本軍は、該地における敵航空戦力撃滅から時を移さず、ビルマでも激烈な戦闘を進め、英印軍をついにイラワジ河の西岸に追い立てるにいたった。しかし、日本側には中国大陸で苦戦する友軍のため、援蒋ルートに止めを刺すにはどうしてもビルマ人自身の独立運動を利用して、英印軍をヒマラヤの南麓に封じ込める必要があった。果たして工作は成功し、タイ国境を越えたときには、日緬あわせて四十人ばかりだったビルマ独立義勇軍も、村々を通過する度にその勢力を膨張させている。中都市・ぺグーをおさえ、ラングーンへ到着する時点には、数万人に達する見通しだった。
 ビルマ人の兵隊に成り済まし、タイから「雷帝」に従って来たタイ陸軍の将校は、物憂い顔でそばにいたウーナインのわき腹を小突いた。
 「痛いな。何をするんです」
 理知的な顔を歪めて、二十五歳の非凡なビルマ人は小声で文句を言った、
 「力を加減してくださいよ、ソムチャイさん。あなたの腕っ節は尋常じゃないんだから」
 この行進に先立って、日本軍が撃ちもらしたビクトリアポイントの英軍基地を攻略し、見事に奪取したのは、他でもなく、このウーナインである。しかし、東京の講道館で知り合った年下の隣国人に詫びもせず、ソムチャイは囁くように訊いた、
 「目下、ジャワに向けて進攻しているイマムラ閣下の第十六軍が、もし、オランダ人に快勝したら、...余力が生じた日本軍は、果たして君たち独立義勇軍の活動に好意的な態度を取り続けるだろうか?」
 何を見ているのか、飄々とした哲学者の眼差しでウーナインはこたえた、
 「煙たくなるでしょうね。おそらく活動の停止か、下手をすれば解散を命じてくるかも知れません」
 タイの俗物は底意地悪く踏み込んだ、
 「ビルマの民衆は、それで納得するのか?」
 「納得するわけがないでしょう。...我々三十人の目的は、あくまでも祖国の独立であって、日本帝国への協力は二の次です」
 ウーナインは言葉を区切り、哀れむように騎上の人を見た、
 「だが、そうなった場合、気の毒なのは日本軍と袂を分かつ我々ではなく、日本軍人でありながら、あるいは我々以上にビルマ独立を熱望している人たちですね。日本人というのは、義侠心に取り憑かれてしまうと、一死を以ってしても相手に尽くそうとする。板挟みになって苦しむのはあの人たちだ」
 明晰な見解を披瀝する青年に、ソムチャイはぼんやりと答えた、
 「その甘さが、やがて日本の命取りにならなければよいがな」

 昭和十七年四月八日。ビルマのローウィン飛行場を攻撃した十六機の隼隊が、チェンマイ基地に飛来した。
 「ずいぶん忙しそうですな」
 ソムチャイ大尉に声をかけられ、操縦席から這い出す島崎曹長は笑顔を投げ返した、
 「やあ、また会いましたね」
 ソンクラー祭り(タイ正月)を控えたチェンマイ地方は酷暑だった。風は吹かない季節ではあるけれど、プロペラ機が集まる飛行場は褐色の土埃がひどかった。
 「貴官もシンガポールへ行ってきたのかい?」
 「もちろん。それから、パレンバンです」
 オランダ軍の一大石油精製基地が置かれていたスマトラ南部のパレンバンで奇襲を成功させた陸軍落下傘部隊の活躍もまた、彼らを護衛した隼戦闘隊の武名とともに歌になって後世へ語り継がれることになる。六十四戦隊はさらにジャワにおける航空撃滅戦に勝利を収め、北部マレイ、スンガイパタニの基地を経由しながら、ふたたびビルマ方面の英軍航空戦力と対峙するべく、チェンマイに進出して来たのであった。ぐるりを見回し、ソムチャイはうそ寒い声色でつぶやいた、
 「だいぶ消耗されたようにお見受けするが」
 島崎を動員しているほどなのに、隼の数は目に見えて少なくなっていた。
 「ドンムアンでお会いしたあとは、ほとんどマレイとスマトラでした。マラッカ海峡でずいぶん大勢の仲間を喪いました」
 「マラッカ海峡か...」
 鸚鵡返ししながらも、ソムチャイが連想したのは戦場とはまるで別次元の物語だったかも知れない。遠い南の空を見上げる島崎曹長も、いつもの皮肉な笑みを零した、
 「ジャワの十六軍も一週間でオランダ軍を片付けました。もう南へ出撃することはないでしょう。これからは、ビルマです。なにしろビルマ独立義勇軍ときたら、我が軍の解散命令に応じないそうですからね。大東亜共栄圏の建設に何かと障害をもたらしかねない不穏な空気は、上空から威嚇せにゃなりませんや」
 怒り心頭に達した時、つい笑ってしまうのは、アジア人に共通する感情表現の特性かも知れない。島崎は、あきらかに軍上層部の裁定に反意を抱いていた。ことさら、”大東亜共栄圏”に力をこめる島崎の苛立ちに、ぺグーで語らったウーナインの日本人への思いやりが重なった。

 昭和十七年五月二十二日、六十四戦隊長が強行偵察に飛来した英軍のブレニウム爆撃機と追撃線のすえ、被弾。ベンガル湾に自爆した。また同じ時期には海軍がミッドウェイ作戦で正規空母の四隻を失い、日本の戦局に暗澹とした翳りを落としはじめていた。
 それからほぼ一年後、四月二十七日の朝だった。
 暴風雨の中、インド洋モザンビークとマダガスカル島の中間公海に、ハーケンクロイツをハッチに描くUボートが浮上した。ハッチが開き、数人の乗組員が慌しく高波に揺れる甲板へ降りた、
 「ヴィー・ホォッホ・ゲェン・ディ・ヴェレン!」
 「ゲェト・イア・フォージヒティヒ!」
 示し合わせたように日本の伊号第二九潜水艦が海面に姿を見せて、ハッチから身を乗り出す水兵も叫んだ、
 「危険だっ!波がおさまるのを待とう!」
 しかしVIPを迎える日本側の立場と異なり、キール軍港へ帰投する燃料が心許ないドイツ人にとって、厄介者の引渡しなどさっさと切り上げてしまいたい任務だった。風が弱まると、ふたりのドイツ水兵が裸になり、ロープを握って鱶が回遊している海へ飛び込んだ。二隻のあいだに麻縄が張られるとドイツの艦から恰幅の良いふたりの南西アジア人がまろび出て、木の葉のように揺れるゴムボートに乗り込み、命綱を伝って伊号へ移動した。
 眼鏡をかける男は、インド独立の志士スバス・チャンドラ・ボースといった。久しく英国の敵国であるドイツに亡命していたボースは、ヒトラーを見限ると、副官のハッサンを伴い、ベルリンをあとにして日本と共に戦う道を選んだのである。
 五月六日、スマトラ島北端に程近いサバン島に上陸すると、駆け足で東京へ赴き、東条英機首相と会談。ふたたび南洋へ取って返して、六月下旬、昭南島(シンガポール)に上陸。そして七月五日、インド国民軍の大部隊が結集する同地の市庁舎前広場で、炎天下のもと三色紡車旗を掲げ、ボースは演説した、
 「...私は諸君に暗黒にも光明にも、喜びにも悲しみにも、受難にも勝利にも、常に諸君とともにあることを確約する。現在、私が諸君に進呈できるものは、飢え、欠乏、進軍につぐ進軍、死以外の何ものもない。しかし若き諸君が生死を託して私に従うならば、私は必ず諸君を勝利と自由とに導くことができると確信する。われわれのなかの幾人が生きて自由インドを見るかは問題ではない。インドが自由を獲得すること、インドの自由のためにわれわれがすべてを捧げること、それだけで充分なのである!」
 彫りが深いチョコレート色の顔をした兵士が感極まって立ち上がり、三十八式歩兵銃を高らかに青空へ掲げると、気迫に満ちた大声で吠えた、
 「チャロォ・デリー(行け、デリーへ)!」
 すると一万を上回るインドの戦士たちが、あたかもトルネードの熱風のように、口々に同じ言葉を叫んだ。
 灼熱の太陽が照り返す広場の片隅で、島崎康吉曹長は腕組みしながら、自由インド仮政府主席がふるう熱弁に聞き惚れていた。
 「いつも妙なところで会いますね、シマザキサン」
 傍らから声をかけたのはソムチャイだった。
 「やっ!」
 藪から棒に出現した同盟軍の大尉に敬礼して、島崎は訊いた、
 「まったくです。しかしどうしてソムチャイさんがここへ?」
 「シマザキサンだって、もう南には用がない、って言っていたじゃないか」
 「なあに、小僧の使いは番頭の気分次第です」
 インド人の軍隊が、ビルマ方面から祖国奪回の戦いに雪崩れ込むのは火を見るより明らかだった。日本陸軍の精鋭航空隊は自分たちの作戦立案の手懸りを得るため様子を見に来たのだろう、と推断しつつもそれには触れず、
 「これから中国本土へ赴き、南京政府の汪兆銘と会う」
 と、ソムチャイは自分の任務を耳打ちした。インド国民軍の立ち上げを観察し、戦力を分析した上で、タイの情報士官は南京政府との交渉に臨むらしい。議事は当然、日本軍が未だに断ち切れずにいる援蒋ルートと、その後の展望である。だが、島崎もとぼけた、
 「いやあ、感動的でしたな、ボースさんの演説」
 「私はインド人が嫌いだ。インド系タイ人の秘密警察に何度か生命を狙われたからな」
 タイ国内では、摂政プリディ・タノムヨンを首班とする武闘政治団体「自由タイ」の動きが活発化していた。アメリカやイギリスに支援される自由タイの矛先は、当然自国に進駐している日本軍に向けられている。近代戦に於ける勝敗は、ひとえに補給の確保にある。絶対的な火力では日本軍に拮抗し得ない自由タイは、もっぱら防備が手薄な輸送路と兵站基地へのゲリラ攻撃をおもな戦術としていた。もちろん、ソムチャイのような親日派もただではすまない。首班の身分から想像できるように、自由タイの細胞は、在野のはねっかえりばかりでなく、日頃日本軍の将兵と親しく歓談している軍人や警察関係者にも及んでいる。見究めは、非常に困難だった。
 すなわち、ソムチャイは、常にテロルの脅威と背中合わせだったわけである。

 黄ばんだ水が揺らめく揚子江の船着場は下関(シャーカン)と呼ばれている。匪賊が跋扈跳梁する陸路の危険を避けて、上海から船で南京入りしたソムチャイは、案内役の南京政府官吏に続いてはしけに降りた。
 「ここは、蒋将軍配下の便衣隊約五百名が日本軍によって処刑された現場です」
 六年前の南京陥落時の状況について詳しく説明する、のっぺりした顔の官吏は、袂を分った蒋介石ばかりでなく、同盟軍の日本に対しても、あまり好い印象をいだいていない様子だった、
 「処刑とは言っても半ば交戦状態でしたから、対岸へ避難する船を待っていた女や子どもが数十人、流れ弾の犠牲になっています」
 「それは景気がわるい」
 ブラックユーモアをこめて、タイの連絡士官はいった、
 「日本人から聞かされた武勇伝とはずいぶん乖離があるな」
 「千人斬り、ですか?ばかばかしい。あんなものは会社の上役から戦意高揚に結びつく記事を書くよう命令された新聞記者が、書くに事欠いて思いついた愚かな作り話です。考えてもみて下さい。われわれ中国人が地理に不案内な日本の兵隊づれに、みすみす試し切りなんかされたりするわけがないでしょう」
 あくまでも、朴訥な調子の答えが返って来た。
 もちろん、ソムチャイも、行政院の役人も、その案件が後世歴史的事実として浮上する”事件”の元ネタになるなどとは夢にも思っていなかった。
 汪兆銘は、この時六十歳の還暦を迎えていたが、好男子ぶりは往年と変わりなかった。ただ激務のせいか、間近で見ると、血色のわるさと疲労の色は隠しようがないくらい、やつれていた。
 開口一番、汪が言った、
 「いま蒋将軍が日本と和睦しては、この戦争はまったく人種戦争の様相を呈してくる。アメリカが危惧しているのはその点です。あくまでも、黄色人種である中国人が連合国に参加して、“ファシスト日本”と戦っているという構図が欲しいのです」
 会話は両者の共通語・フランス語だった。ソムチャイにとって、その見解を外国人から聞かされるのは二度目だった。日本と蒋介石の停戦工作は、英米に躍らされる自由タイの動きを掣肘し、一日も早いアジア民族の大同団結を実現させるために、避けて通れない道だった。如何に日本寄りの政権を立て、蒋介石と対立しているとは言え同じ孫文門下の汪兆銘による取り成し工作をソムチャイは期待していた。しかし煮え切らない汪の態度は、早くも交渉の不首尾を予感させた。
 「シンガポールで結成されたばかりのチャンドラ・ボースのインド国民軍を見ました」
 おもむろに切り出された材料に、地主階級出身の温和な紳士は頷いた、
 「ボースは東京で東條に助太刀を求めたのでしょうな」
 「雨季が明けるのを待って、インド人は故郷へ進軍をはじめるはずです。もちろん東條閣下は彼らに然るべき援軍を差し向ける腹積もりでしょう」
 係争地となるのは、アッサム州にあるマニプール藩王国の首都、インパールだった。攻略作戦の発動は、年明け二月乃至三月という見通しだった。
 「日本人は調子に乗りすぎだ」
 世人は汪を暗愚な人という。だが、そんな人士の目を以ってしても島国民族によるあまりにも遠大な戦線の構築は流石に画餅と移ったようだ。ところがタイの将校は頷かなかった、
 「東條閣下はありていにいって“お人好し”です。これに対して、インド人のゴリ押しは凄まじい。おおかたボースの強引な援軍要請に東條閣下が心ならずも屈服した、と読むのが妥当です」
 ソムチャイの見立ては事実その通りだった。
 「すると、利害が一致するとは言え、インド国民軍の存在は、かえって日本にとって、お荷物になるわけですか」
 「仰せの通り、日本の兵站はすでに限界ですよ」
 「インパール作戦が発動されたら日本陸軍は命運が尽きる」
 これを受けて、ソムチャイは断乎たる調子で言った、
 「なればこそ、一日も早い重慶(蒋介石)と日本の講和工作を進展させて頂きたい」
 「私には自信がない」
 汪はうな垂れた、
 「中国の民は私を日本の傀儡、つまり裏切り者と見なしている。とても説得などできない」
 汪の恨み節は行き着くべきところへ行き着いた、
 「かてて加えて、日本人というのは、責任ある立場であるべき外交官と軍人がまる
で逆のことを言う。こちらが信用して政策を打ち出すと、べつの筋から梯子を外され
た事実を知らされる。私は恥かしくて、日本と交わした約束を民国国民に伝えること
ができません」
 疲労の原因は度重なる心痛だったようだ。ソムチャイの中国訪問は、その後数回に
亙ったが、ついに希望的な成果を結ぶことはなかった。
 三度目の帰路は、空路、仏印を経由してチェンマイに降りている。日本の暦だと、
昭和十八年の年の瀬であった。何を食べているのやら、数羽の雀が餌を啄ばむ滑走路
に、白い象を垂直尾翼にあしらった旧式の隼が5機ばかり並んでいた。タイ陸軍に供
与された機体である。そんな中に、日の丸をつけた新型3翅プロペラの一機がいた。
 「そろそろ、お会いできるような気がしていました」
 挨拶したものの、いつになく唇を閉ざす島崎曹長は、ビルマのミンガラトン飛行場
から連絡のため飛来していた。
 「顔色がすぐれないようだが、曹長は風邪でもお召しかな」
 声を潜めるソムチャイの真意を汲んで、戦闘機乗りはいった、
 「自由タイが密林に秘密飛行場を建設しているらしい」
 「それは知っている。このチェンマイ周辺でもいくつか確認されている。もっとも、まだ整地もされていないし、肝心の飛行機が配備されていない。だから抛って置く」
 もし島崎曹長が常識的な日本軍人だったら、こんな説明を聴かされて黙っていられる道理がない。欺瞞に満ちた同盟国の軍人に殴りかかっていてもおかしくないだろう。しかし、際どいタイの国内事情を知る男は、この国の親日勢力に、いまや自由タイを取り締まるべき官憲を動かす力が残されていない現実を漠然と料簡しただけだった。
 「最近は南部のほうでも、頻繁にわが輜重隊が空からの攻撃でやられているんです。私が睨んだところ、どうもクラ地峡のジャングルが臭いですな」
 持ち出された地名を聞いて、ソムチャイの精悍な眉が、戦場とはまるで別次元の連想ゆえに、動いた。一方、南の碧落を眺める島崎も、戦争中であることを忘れたかのような間延びしきった調子で尋ねた、
 「御国はわが国との攻守同盟を維持なさる気があるんですかね?」
 ソムチャイも、投げ遣りだった。
 「さあ。最後に勝つほうと組む気でいるんだろう」
 「大尉個人としてのお考えはどうなんです?」
 「黄色い民が共に栄えるのが私の信条だよ」
 それを聞いて、ようやく島崎は白い歯をのぞかせた、 
 「日本が負けたら、後始末はタイに頼みますよ」
 「タイもただでは済まない。本音はともかく、我が政府は公式に御国と毒を盛った皿を食べ続けているんだ」
 乾いた笑い声を上げて愛機に踵を転じた島崎を、思い出したようにソムチャイは呼び止めた、
 「ところでシマザキさんは東京の生まれかい?」
 「深川ですよ」
 「なあ。戦争に負けたら、ギンザで一緒にやけ酒でも飲もう」
 「そっちのほうが毒の皿よりも気が利いています。よろしい。柳橋の綺麗どころを総動員しておきましょう」
 「ははは。そいつは楽しみだ」
 だが、それが今生の別れとなった。
 六十四戦隊はそれから終戦間際までビルマ戦線に留まり、絶対防衛圏の西の端を死守することになるが、島崎康吉曹長は昭和十九年の正月七日、南部タイ、チュンポン沖の上空でクラ地峡の密林地帯に築かれた秘密飛行場から発進したスピットファイア戦闘機の部隊と遭遇し、単機空中戦を挑んで被弾、タイランド湾の大海原に白い水柱を立てて九段の杜の柱になった。


 昭和二十年三月九日の夕刻だった。
 新聞の紙面には相変わらず勝ち戦を報じる見出しが景気好く躍っていたが、人の口に戸は立てられないという。刻一刻と悪化の一途を辿る戦局の趨勢を肌で感じていない庶民は、流石にこの頃になると、巷間にはひとりも見当たらなくなっていた。
 ヨーロッパ風の駅舎に黒っぽいペンキで迷彩塗装が施された上野駅は、春一番と呼ぶにはあまりにも虚無的な突風が吹きよせていた。そんなうそ寒い駅舎の片隅で、深川区に住むひとりの国民学校四年生の少年が母親にけしかけられ、半ば強制的に高崎行きの汽車へ乗せられれようとしていた。黒い詰襟をはだけ、学帽を斜に被った小国民は、平べったいプラットホームへ勇ましい煙を立てて入線して来る蒸気機関車に見蕩れていたが、そのくせ唇を尖らせ拗ねた横顔で不平を言う、
 「母ちゃん、どうしてぼくだけが今日に限って伯母さんの家に行くんだよ?知ってるんだよ。今夜の配給に乾燥タマゴがあるってことくらいさ」
 明治三十九年三月十日は、日本陸軍が奉天の大会戦でロシアを破った日である。陸軍記念日の前夜だから、統制物資の配給もこの日は普段に比べて中身がずいぶん華やかだったと伝えられている。
 「さっきだってグラマンが何機も隅田川の上を飛んで行くのを見ただろう」
 山袴姿の母親は息子を三等車両に押し込めながら、
 「つべこべ理屈をこねるんじゃないよ。第一、おまえは乾燥タマゴと自分の生命の、どっちが大事なんだい?学童疎開へ行ったはいいけど厄介ばかり起こすから、こんな空襲ばかりの食べ物がない東京に帰されたんじゃないかい」
 と早口で言いながら、肩にかけた鞄から腹巻を取り出した、
 「鴻巣の義姉さんは躾にやかましい人だからね。追い出されたらもう他に行くところはないと思いな。きちんと勉強するんだよ」
 発車を報せる汽笛が鳴った。妙な胸騒ぎをおぼえる少年は、それが乾燥タマゴのせいでないことに漠然と気がついていた。爆風による飛散防止の紙が貼られた窓を目一杯こじ開けると、半身を乗り出し、上擦った声で訴えた、
 「乾燥タマゴは弟と妹たちでわけていいよ。だから、やっぱり、ぼくも東京に残る」
 「ばかっ!泣く子があるか」
 自らも目元に涙をためながら、母親は厳しく息子を叱咤した、
 「靖国神社のお父さんにどうやって申し開きをするんだい!」
 隼戦闘機の搭乗員だった少年の父親は、一年前に南方で戦死していた。
 「そんな意気地なしじゃ、海軍兵学校だって入れてくれやしないよ」
 航空決戦の時代にあってもなお、軍艦乗りに憧れる少年は黙った。走り出した汽車に追いすがりながら、眩しげな面差しで母親は最後に涙声で結んだ、
 「曲がったことが嫌いだったら、それでもいいんだからね!達者で暮らすんだよ!」
 鶯谷を過ぎてようやく硬い木の背もたれに背中を押し付け、ため息をつく軍神の息子は、名前を島崎康介といった。






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