* この物語はフィクションであり、登場する人物、企業、
団体、一部政府機関の名称は架空のものです(著者)。




第十三話




 灯火管制のおかげで薄暗い鴻巣の駅頭に叔母が迎えにきていた。母と同じく、伯母も戦争未亡人だったが、嫁ぎ先の商家に留まり、時節柄廃れきった家業を亡夫になりかわって切り盛りしている。親戚が少ないので集団疎開から締め出された暴れん坊に残された居候先は、この埼玉の家しかなかったのだ。牛に牽かれる大八車に腰を落ち着けると、叔母は独り言を呟くように、弟の忘れ形見へ語りかけた、
 「島崎の男衆というのは、御一新のときにも、みんな死んでしまったのよ。いちばん上のお兄さまが鳥羽伏見、お父さまが上野の山、いちばん若い弟が会津の援軍に行って、真ん中の人は函館の山で討ち死にしています」
 いつもの説教に、康介は憔悴しきった面持で反応した、
 「伯母さん。でも、ご先祖はみんな賊軍なんでしょう」
 「そうね。だけれど、鳥羽伏見で討ち死にした人には、ちょうど康介くらいの年頃の男の子がいたの。それで、やがて九州で野に下った西郷南洲さんが反乱を起こすと、二十歳になっていたその男の子は警察にはいってね、今度は官軍として田原坂で戦っているのよ」
 軍国少年は、幼い顔を複雑にゆがめた。
 伯母は諦観をしのばせて訊いた、
 「孝臣になってお家の名誉は挽回されたのよ。康介は嬉しくないの?」
 「嬉しくありません。正邪の境目が、よくわかりません」
 ひねくれている。まぎれもなく、康介は康吉の息子だった。
 「そうね。どんな立場にも言い分があるもの。人はお釈迦さまじゃないんだから、絶対に正しいなんてことは有り得ないの。反対に、真心がある人なら、たとえ世間さまがどんな烙印を押そうと、正しい考え方をかならず一片は持ち合わせているもの。いつも、それをよく吟味するように努めなさい」
 伯母の家に着いてすぐ腰の曲がった隠居のお姑さまに挨拶を済ませ、最初の床に就いたが、康介はなかなか寝付けなかった。そして、辛うじてまどろみかけた夜半に入り、廊下で足音が響いた、
 「康介っ!南の空をみてっ!」
 と、いつも冷静な伯母が悲鳴に近い声で呼ばわった。跳ね起きて、雨戸を開け放つと、康介は信じられない光景を見た。辰巳の夜空いっぱいが、身の毛もよだつような血の色で染め抜かれていた。かすれた声で、少年はつぶやいた、
 「東京が燃えている」
 空襲は尋常の規模ではなかった。サイパン島を飛び立ち、執拗な波状攻撃を繰り返すB29は、後世の記録によると三百機にのぼる。東京の下町が集中的に狙われたのは、軍需物資を製造する小さな町工場が稠密していたからかも知れない。だが、アメリカ人がばら撒く焼夷弾に曝され、焼かれていくのはひとえに工場ばかりではなかった。そこでは、数百万人の住民が日々の生活を営んでいるのだ。しかも、その内訳は、女子ども、老人という非戦闘員が圧倒的に多かった。先刻上野駅で別れたばかりの母親や、幼い弟や妹が、恐怖に狂いながら逃げ惑い、断末魔の叫びをのこして紅蓮の地獄へ次々と呑み込まれていく様子を、康介の千里眼は呆然ととらえていた。
 「みんな、無事だろうか」
 伯母の狼狽を窘めるように康介は無感動に言った、
 「・・・島崎の家は、男がひとり生き残ればいいんでしょう?」
 薄気味悪いものを見るような眼差しで、伯母は醒め切った甥の顔を覗き込んだ。
 康介は、決然たる意志をこめて、しかし頗る涼しげな調子で言った、
 「伯母さん。ぼくは勉強して、必ず海軍に入って、アメリカへ攻めて行く」
 鴻巣から見える東京の黒煙は、一週間くらいおさまらなかった。間もなく、埼玉中部の町へも東京からボロ雑巾のような罹災者の群れが押し寄せてくるようになったが、家族の消息は杳として知れない。一方で康介は、まるで人が変わったように、減らず口も叩かなくなり、朝夕は木刀の素振りを欠かさず、ひたすら土蔵の書物を読み漁る少年になっていた。

 そして八月。晴天に蝉時雨が鬩ぎ合う日のことだった。白々と真夏の日光に炒られる校庭で、康介は眩しい太陽に眼を細めながら、厳かに流れる玉音放送を聴いた。はじめて耳にする天皇陛下の声だった。康介は日本が敗北したことを知った。軍刀を吊った士官が奉安殿の前で膝まづき、校長や訓導は泣き腫らした顔を天に向けた。子供の中にも、泣き崩れていく者がいる。
 泣いてる場合じゃないだろう__。
 空を見上げて、快晴という言葉の意味がわかった。とりあえず今夜から空襲がなくなる、とも思った。しかし、釈然としなかった。父が死んだのは覚悟を決めた軍人だから仕方ないけれど、母や幼い弟と妹は何のため殺されなければならなかったのか?舌を打ち鳴らす康介はあたりを見回した。櫛の歯が抜けるように挫折していく大人や同級生を尻目に、梯子を外された思いでいっぱいの少年は、佇みながら、ひとり歯痒く、あらためて徹底抗戦の思案に耽った。


 日本が無条件降伏、すなわちポツダム宣言を受諾するほんの数日前、タイ国は、日本と交わした攻守同盟を破棄して、連合国に鞍替えしている。長い間、国際政治の緩衝帯という複雑怪奇な立場で独立をまっとうしてきた国民による土壇場の鮮やかな寝技は、同じ頃、満州やオホーツクで南侵を開始したスターリンのソ連よりも、はるかに巧妙かつ迅速だった。


 東京お濠端の第一生命相互ビルにGHQが置かれてまもなく、“戦勝国”の情報将校ソムチャイ・ポラカンは、変わり果てたギンザを、ひとり逍遥した。焼け焦げたトタンでこしらえたバラックが立ち並び、浮浪者の群れが残飯を求めて瓦礫の山を往来するさまは、見るに忍びなかったけれど、ソムチャイは生き残った者としての責務と弁え、かつての同盟国の惨状を直視しながら歩き続けた。階級は大尉のままだった。
 それが日本との同盟に拘り続けたソムチャイに対する、タイ軍部の冷淡な回答だったのである。
 ようするに、水面下における連合国へのタイの内応は、かなり早い時期から進展していたのだ。自分よりはるかに出来の悪い士官学校の同期連中が、次々と佐官へ出世していく中、取り残されたソムチャイは、この視察任務が終了したらただちに軍人稼業から足を洗う腹を固めていた。
 「ハロー」
 派手なワンピースを着た女がソムチャイの袖を引いた、
 「アーユーアローン?」
 あたりを見回すと有楽町のガード下に来ていた。醜く剥がれ落ちた漆喰の壁を背にして、赤や黄色の洋服をまとう厚化粧の女たちが、ジープのMPとじゃれ合っている。物欲しそうな面差しでソムチャイに言い寄る女を、姐さん格の仲間が引き止めた、
 「およしなさいよ、あんた。そいつはアメリカの兵隊じゃないよ」
 食傷したような渋い顔で、すごすごと若い女は身を引いた。日本人の精神的荒廃は、物質面のそれと比較にならないほど、目を覆いたくなるものがあった。
 “これが、あの気高いまでに慎ましかった日本女性なのか?”
 彼女達の夫は、恋人は、立派に武士の面目に殉じて、山野や海底に眠っている。それなのに、女たちは一枚のチョコレートと引き換えに、伴侶たちを葬り去った憎むべきかたき連中と仲良く腕を組み、焼け野原を我が物顔で闊歩する。尊い名誉を省みられることなく、忘れ去られていこうとする日本の英霊たちが、タイ陸軍大尉には不憫でならなかった。ふたたび歩き始めたソムチャイは、戦前に知り合った、今や生死も定かでない大和撫子たちの麗しい風情を思い出しては、胃液の苦味にしばしむせいだ。何もかも、遠い過去の幻だった。パン助に代わって、DDTのにおいを引き摺る戦災孤児の群れがタイの将校を取り囲む、
 「兵隊さん、チューインガムくれよ」
 「おい、待て、待て」
 ここでも年嵩は冷静な観察者だった。鳥打帽にタバコを咥えた親分格の少年がにじり出て、幼い浮浪児を呼び止める、
 「こいつはダメだぞ。アジア人だからな」
 「ちぇっ、しけてやがらあ」
 口々に毒づいて、索然と去って行く子どもたちのすさんだ後姿に、あらためてソムチャイは深く嘆息した。御仕着せがましい連帯意識の披瀝はあっても、あからさまなアジア人に対する蔑視など、戦争が始まる前の日本では考えられない仕打ちだった。
 「無条件降伏」とは、あくまでも政治面における取り決めであり、たとえどのような政令が占領軍から発せられようと、日本人は面従腹背を決め込んで臥薪嘗胆、再挙の日を待てばよい__。
 ソムチャイはそんな風に見積もっていた。タイ人にとって朝飯前の芸当だから、辛抱強い日本人に出来ないはずがない、と考えていた。だが、この見通しは甘かった。日本国民は、本質から得体の知れない病原菌に蝕まれ、まったく別の卑俗な民族に変貌しつつある。負け戦に慣れていない島国の人々は、あらゆる価値観が否定され、未曾有の恐慌によって、すっかり正気を欠いていた。
 このままでは、日本が本当にだめになる__。
 晩年は飛行機に乗っても、シートをリクライニングさせる度に後ろの乗客に気を使う老人になっていたけれど、壮年のソムチャイには遠慮がない。募る危機感が歩幅をおのずと大きくさせた。真一文字にGHQ司令部へ乗り込むと、警備の米軍下士官にはなから喧嘩腰で、
 「ヘイ、ユー!“五つ星”に会わせろ」
 と、どやしつけていた。端的に言って、この時期のタイは、連合国の中にあって、最も後ろめたい立場に置かれた国だった。したがってソムチャイの行動は、さながら、関が原の合戦のあと、小早川秀秋の家臣が徳川家康の本陣を訪れ、葵の旗指物をつけた足軽に、「太府に意見をさせろ」と言い放ったようなものである。
 ところが、追い返されると思いきや、碧眼の家康は気紛れだった。珍妙な来訪者は、マッカーサー元帥に目通りが許された。案内された部屋で待つこと一時間。ソムチャイは揃って現れたGHQの最高司令官とG2のウイロビー少将を前に、たいそう高圧的に言った、
 「極東軍事裁判の話しは聞いています。愚の骨頂です。悪いことは言わないから、やめなさい。あなたがたは重大な勘違いをなさっておいでだ。連合国と枢軸国の対決の時代は終わったのです。一日も早く、閣下には新しい世界の枠組みを認識なさって戴く必要がある。よろしいですかな、真の脅威は日本ではない。共産主義者です」
 アメリカの高級将官たちは、あっけにとられていた。
 「中国では、日本の敗走と時を同じくして国共合作が崩壊し、早くも八路軍が蒋介石を圧倒しているではありませんか。日本軍との交戦で戦力を消耗し切った国民党の敗北と、中国大陸の赤化は必至です。それからソ連は、虎視眈々と日本が撤退したあとの朝鮮半島を狙っています。既にシベリアで軍事訓練を受けた朝鮮人の赤軍が、夥しい戦車と飛行機を擁して鴨緑江の北岸へ進出して来ているのです。また、越南では、赤色革命を標榜するホーチミンの一派が、やはりソ連の支援のもと勢力を着々とのばしています。ご存知でしょう?」
 ソムチャイは、自らの足と目で実地に確認して来た具体的な数値や固有名詞を膨大に並べ立て、遠からず世界を震撼させるであろう自由陣営と共産陣営の対決を、手際よく予見してみせた。
 「しかしだね、キャプテン」
 切り出したのはウイロビーだった、
 「ソビエトは連合国の一員として、非常に協力的にやってくれているではないか。たしかに始めは北海道を自分たちに占領させろだのと駄々を捏ねてはいたが、結局のところ蒋介石将軍の意見に従い、日本の分割統治案を撤回している。蛇足ながら言わせてもらえば、あの傲慢なロシア人が聞く耳を持つほどの蒋介石がへたり切っているとも思えない。きみは杞憂にとらわれているようだ」
 エルベ河の感動の余韻にひたっている人々は、タイ人士官の意見をせせら笑い、まるで深刻に受け止めようとはしなかった。ソムチャイは反論した、
 「日本がポツダム宣言を受諾しているにも関わらず、ロシア人は満州や樺太、千島列島に何をしましたか?降伏している日本の軍民を一方的に殺傷しながら、火事場泥棒同然に土地を奪っているのですよ。あれがソ連の本質です。油断めさるな」
 語調を落ち着かせ、大尉は続けた、
 「この期に及んであなたがたに日本を労われ、とは申し上げません。しかし日本人を生かして、利用する道をご検討願いたい。向こう十年以内に東アジアで大規模な戦争が起きるのは間違いありません。そんな場合、連合軍にとって、戦略的な索源地・日本の重要性はよくお解り戴けましょう。当然、この国の再軍備にしたって、真剣に取り組まなければならない課題になります」
 神道司令をはじめ、徹頭徹尾日本の武装解除を推し進めているマッカーサーとウイロビーは、この非常識甚だしい発言を受けて、顔を見合わせた。
 「話しはよくわかった。いつか大尉の意見を参考にする日が来るかも知れない」
 コーンパイプの煙をくゆらせて、最高司令官がいった、
 「しかし当面はこの国に燻るファシズムの亡霊を根絶やしにしなければならないのだ」
 ___わからず屋め!
 ソムチャイは舌を打ち鳴らし、捨て台詞を以って、暇乞いとした、
 「新しい日本を塑像すべき人材なら巣鴨にいくらでも詰め込まれていますよ。ともあれ復讐が目的の“茶番裁判”はいつか裏目に出ます。必ずや、将来にたいへんな禍根を残します。これだけは、はっきり申し上げておきましょう」
 しかしながら、ウィロビー少将は、敬礼して踵を返すソムチャイの言葉にある種の確信を得たらしく、間もなく焼け野原から日本の旧軍人を集め、日本の再軍備に前向きな取り組みを見せている。のちに朝鮮戦争勃発から、わずか半月で立ち上げられた警察予備隊のあまりにも迅速な発足の理由が、すなわち、それである。
 極東軍事裁判、世に言う「東京裁判」の実施が本決まりとなると、もともと放恣な気性のソムチャイは、ついに堪忍袋の緒をきって、バンコクへ帰り、愛着ある陸軍に辞表を提出した。

 ポラカン家はスクムビット通りソーイ31/1の、比較的表通りに近い一角にあった。英軍の爆弾で、母屋の一部は破壊されていたが、庭先に植えられた数十本のマンゴーの樹に被害はなかった。壊された位置に新しく設けた半屋外のテラスで、葉巻とコーヒーを味わいながら、ひねもす十種類あまりの新聞に目を通すのが、退役後のソムチャイの日課になった。東条英機をはじめ、多くの日本の指導者が、戦犯というきわめて曖昧な汚名を着せられたまま絞首刑に処せられて、早くも二年の月日が経っていた。
 「象か」
 「はあ?」
 ポラカン家の使用人ではないが、いつもこの家に入り浸っている華僑の三十男が、机上に投げられた英字新聞を覗き込む。そこには、日本の子供たちが”象を観たい”と言っており、これに応えてインドのネルー首相が、娘のインディラと同じ名前をつけた雌象をプレゼントすると書かれてあった。
 「リンさん」
 珍しくぼんやり考え事に耽っていたソムチャイは、林鉦文に思いつきを打ち明けた、
 「わたしも象を一頭、日本に贈ってみようと思う」
 「はあ。象を、日本に、ですか...」
 歴史的な生地主義からタイで生まれた華僑はタイ名を常用しているけれど、林鉦文は潮州人の一世である。生粋の華僑である以上、反日は正常だが、このポラカン家の向かいで安食堂を経営している男にとって、日本は特別な思い入れがある国だった。それを承知していればこそ、ソムチャイはやぶから棒に鎌をかけたのだ。
 「インド人に先を越されてはタイ人の恥だ」
 ソムチャイは理屈抜きにインド人がきらいだった。何かにつけて露骨な対抗意識を剥き出しにする。
 「しかし御前、そう出し抜けにおっしゃられても」
 経済に目ざとい林は、ポラカン家の台所事情について、言っていた。だが、ろくすっぽ自宅の修繕費も捻出できない家計のことなど、お気に入りのテラスで寛ぐ若い貴族にとって、大した関心事ではない。
 「父上が管理している御料農場で、この前生まれたのがいるだろう。あれを日本の子供たちにあげるとしよう」
 しばらく枝にぶら下がる青いマンゴーの実を眺めて、やおら林は血相を変えた、
 「お待ちあれ。あれは恐れ多くも王室の財産ですよ」
 「買い取ればいいではないか。さっそく陛下にお伺いしてみよう」
 一旦言い出したらどんな諫言も無駄である。他人の懐具合を心配していた林鉦文も、およしなさい、とは言えなかった。が、ソムチャイはさらにピントの外れたことを言い出した、
 「餌も必要だな。コメを一千トンばかりいっしょに送ってやろう」
 「はて?象はコメなど食べませんよ」
 「いいから、コメをどっさり送るのだ。いまの日本には人間の食べ物もないのだから。トウキョウじゃ、大勢の戦災孤児が、空きっ腹を抱えている」
 日本の深刻な食糧難はタイにも伝わっている。
 「子供が...」
 遠くを見るような眼差しで呟き、はたと林は、“コメ”を送ろうというソムチャイの真意を理解した。
 「わかりました。何か私にお手伝いできることはありますか?」
 間延びした調子はきっぱり締め出されていた。
 「リンさん。きみがコメをかき集めてくれ」
 名目的には戦勝国だが、土壇場で変節してみせたタイは、イギリス軍の実質的な占領下にあった。親日派と目されるソムチャイ自身が、日本へ送るコメを揃えるのは不可能と言っていい。
 インドのインディラ招致には、朝日新聞社がキャンペーンを張っていた。これに対して、タイの象には、大手町のライバル新聞社と、さらに大日本雄弁会出版社がセコンド役となり、復興の兆しとも言えるあかるい歓迎合戦が、日本の朝野を巻き込み盛り上がった。
 ところが、果たして一千トンのコメを買い付けてから、途方に暮れた面持でにわかコメ商人がポラカン家に駆け込んできた。
 「英軍の司令部から差し止めをくらいました。どんな理由があろうとも、日本へ持ち出せるコメは、十トンが限界だそうです」
 「そうか。クロントイ港に積み残された九百九十トンはどうする?」
 自分で指示しておいて、ソムチャイはかなり無責任な性格だった。
 「ご心配なく。どうにか、自力で捌いてみせます」
 林は、この持て余したコメの在庫処分が、その後の自分の人生を決定づけるなどとは夢にも思わず、破産を覚悟して、さめざめと強がりを言った。ちなみに、それから間もなく、インドシナではフランスが宗主国として再臨する夢を捨てきれず、独立派と小競り合いをくりひろげることになる。のちに平成の時代まで尾を曳くインドシナの混沌は、ここに端を発したと言っていい。だが、戦雲の拡大にともなって、タイには、コメをはじめとする食料の特需が舞い込むことになるのである。
 いずれにしても、チャーン(象)という名前の小象は、わずか十トンのタイ米とともに、クロントイの波止場から、焼け野原となった島国の首都をめざして出航した。


 小象の餌と称して林鉦文が集めたコメは、ただちにご祝儀代わりに炊き出され、竹芝桟橋に集まった人々の空腹を満たしていた。雑炊を旨そうに啜る生命力の群像の中に、十五歳に成長した戦災孤児・島崎康介の姿もあった。深川区門前仲町の仕舞家は全焼し、ついに家族も見つからなかったけれど、小石川の三角小屋に住んで、ダフ屋の真似事をやりながら中学校に通ようになっていた康介は、進駐軍からかっぱらったジープを無免許で運転して、竹芝桟橋に乗り込んだ。眩しげにタバコをくゆらす康介は、もちろん戦死した父親と象の贈り主の関係など知らない。しかし、はるけき異国から波涛を越えてやってくる珍客をひと目見ておきたい、という衝動は尋常でなかった。
 竹芝桟橋は混雑をきわめていた。クレーンのウインチが動き出すと、象を乗せた不安定な貨物船が接岸するはしけに、どっと人の波が押し寄せ、ジープの前を横切った。運転に不慣れな不良少年は、車を移動させようとブレーキを解除した。しかし、惰性で動くジープは、ひとりの少女にぶつかり、転ばせた弾みで額に傷を負わせてしまった。康介はいまいましいジープを放棄すると、ひたすら詫びを言いながら、鮮血まみれの少女に手当てを施した。“傷物”になった娘には、奇跡的に焼け残った神田区淡路町で、戦前から床屋を営んでいる母親がいた。やはり理髪師だった父親は日本の敗色が色濃くなった昭和十九年の暮れに招集を受け、翌二十年の早春、南大東島の沖で沖縄へ向かう輸送船もろともアメリカの潜水艦の魚雷攻撃で沈められていた。事故現場でこんな会話を交わすくらいだから、被害者と加害者は、妙に打ち解けている。
 その時、康介と少女の会話を遮るようにクレーンが大きな木箱を吊るした。
 象がはいっているわりには、やや心許ない箱の寸法である。どよめきがあがり、ややあって、しばし落胆の声が尾をひいた。タイからやってきたのは、人を食ったような、小さな赤ちゃん象だった。巨大な象を期待していた人々は、緊張感をうしない、しかしほどなく可愛らしい小象を歓迎する歓声が沸きおこった。康介と怪我をした娘は、おどおど戸惑いながら人々の前へまろび出る小象の様子に、ほろりと顔を見合わせたという。もちろんこのふたりは、いま日本に上陸してきた赤ちゃん象の贈り主と、十五年後に生まれて来る自分たちの息子が、どのような形で結びついていくかなど、知る由もなかった。


 公職追放の嵐が吹き荒れる最中、MP監視のもと、「ガチャ子」という日本名を与えられた赤ちゃん象の贈り主は、背広姿で梅雨空の銀座に設けられたスピーチの演台に上がった、
 「希望を捨てないでください。新しい時代の子供たちを大切に育ててください。私はかならずや、あなたがた日本民族が、武士道精神に則って、未だに欧米諸国から不条理なあしらいを受け続けているアジア諸民族のため、義勇公に奉じ、ふたたび立ち上がってくれるものと信じております!...また、いつの日か、黄色民族同士、手を携えて共に戦おうではありませんか!」
 しっかり演説の内容を録音され、GHQが大騒ぎしはじめた頃、ソムチャイはタイへ向かう飛行機に乗り込んで日本を離れていた。
 ガチャ子が竹芝桟橋に上陸して、あくる年の六月下旬、朝鮮半島で戦争がはじまっている。こまめなフィールドワークと怜悧な分析に基づく、ソムチャイ・ポラカンの予言が、まずひとつ、的中したのであった。”対岸の火事”は、臨戦態勢で右往左往するGHQの支配下に置かれる焦土の敗戦国に、さしあたって特需という、経済復興の道を齎した。


 クーデターはタイ政界の風物詩__と、言われている。
 伝統的な軍事政権は、第二次世界大戦のあと、じつに十三回のクーデターによって、交代劇や足場固めが行われている。だが、他の国と比べて、流血沙汰はめったに起きない。国王の権威が絶対なので、クーデターを実行した者は、必ず宮中へ参内し、新政権発足の裁可をあおぐ。国王が認めれば、前の為政者は外国へ亡命し、認められなければ決起部隊は素直に矛をおさめて原隊へ復帰し、首謀者が旅客機等で国外へ逃亡する仕来りになっている。そんな牧歌的な政変の内訳は、成功が七回、失敗が六回だった。戦争が終わって早や十年、民間人のソムチャイ・ポラカンは、知るひとぞ知る“クーデター・コンサルタント”になっていた。
 「“大尉”。文化振興大臣のポストが開いているんだが、ぜひきみに進呈したい」
 つい先頃ソムチャイの計略によって政権を手に入れたばかりの将官が懇ろに切り出した、
 「なるほど、大尉が事前に失敗すると言って跳ねつける計画はどれも必ず失敗する。私は当初、きみが作戦立案を引き受けてくれた段階ですでに成功を確信したものだ」
 むすっとした面持で将官の世辞を聞き流し、ソムチャイは腕組みしたが、
 「首相以外はやらんぞ」
 と、きっぱり言った。せっかく閣僚の席を用意されても、稀代の野心家は納得しない。
 「自分でクーデターの絵も描けないほど頭が悪い将軍どもに、どうして国政の舵取りなどいう大それた仕事ができようか?」
 ソムチャイという男の悪い癖は、自分より能力が劣っているくせに他人から媚びられるのが好きな俗物を見ると、必ずその自尊心を踏みにじる言葉を吐き散らしてしまうことだたった。これでいつも、必要以上の貧乏籤を引かされてしまう。当てこすりの毒舌に晒されると、軍師に与えるはずだった大臣のポストを引っ込めて、あきれ顔の首謀者は帰って行った。クーデターの度に、まるで見当違いな連中が国政のトップに担ぎ上げられる。ソムチャイは、こうしてタイ政界の表舞台から次第に締め出され、所謂フィクサーと呼ばれる裏政界の住人になっていった。


 二十三歳の島崎康介は、奨学金をもらって進学した東京商船大学を卒業すると、見習い期間を経て、二等航海士になっていた。遠くアラビア半島から運ばれてくる原油が経済成長の礎である、と踏んだ小石川のインテリ不良少年は、「船乗り」という軸線だけ守りつつ、アメリカの街を艦砲射撃によって破壊し尽くす方針を修正すると、国力の涵養に心骨を注ぎ込む人生指針を打ち立てたのだ。どんな形であれ、アメリカ人に白旗を揚げさせる仕事は、次の世代に任せ、とにかく当面の日本は、リングへ上がるだけのスタミナをつけなければならない。飛行機乗りを父親に持つ新米の船乗りは、コンテナ貨物船勤務を皮切りに、世界を睨み据えた人生の第一歩を踏み出したのであった。


 昭和三十五年。日本とタイの間でにわかに「特別円・バーツ償還交渉」が浮上した。戦時中の“借り”を金銭で精算するものだったが、ちょうど同じ時期に独立間もないアジア諸国と交渉が進められていた戦時賠償と異なるのは、これが日本にとって明瞭な債務である点だった。
 第二次世界大戦が始まって間もなく、日本政府は戦費調達のため、タイ国政府から、三十億バーツを借り入れている。それはピブン政権における国家予算のほぼ十倍にあたる金額で、債権国におそるべきインフレを惹起させる結果をもたらしていた。言うなれば、この案件はタイにしてみれば、正当な債権回収である。だが、昭和三十年代のまだ経済が安定していない日本には、フィリピンやインドネシアをはじめ、戦時賠償を取り立てようとする国が殺到していて、やもすれば、まともな債権者への支払いが後回しにされる怖れが多分にあった。ちなみに、自国の独立を支援してくれた日本人に賠償請求などとんでもない、という公式見解を表明していたのはインド一国だけである。他はすべて賠償金を貰う道を選んだ。
 そんな背景もあり、取りはぐれを懸念するタイ政府は、急遽大東亜会議で日本人にも馴染み深いワンワイタヤコーン殿下を団長に立てた交渉団を東京へ送り込んで来たのである。
 一方、日本政府を代表してタイ側交渉団を迎えたのは池田隼人蔵相だった。
 翌年まで持ち越される長丁場の池田対ワンワイタヤコーンの交渉は、こうして始まったわけだが、タイ側交渉団の中央には最高顧問として名を連ねるソムチャイ・ポラカンの姿があった。王族出身の殿下になり代わり、直接交渉を進め、最悪の事態に及んではタイ国民の手前、泥を被るのがソムチャイの役目だったという。


 静岡県清水港の海員会館の食堂は空いていた。海運国家の活気はなかなか船乗りを陸に上げてくれなかった。日本経済建設の最前線、そんな勢いを雄弁に物語っているのが人影のない海員会館の食堂だった。多くの仲間が洋上にある。二日前にフィリピンから戻ったばかりの島崎康介は、次の出航をあくる朝に控えて遮二無二晩飯をかき込んでいた。天井から吊るされた白黒テレビでニュースがはじまった。目下膠着状態に陥っているタイ国との債務返還交渉で顔をしかめる池田隼人大蔵大臣が大きく映し出されたその矢先、
 「島崎さん」
 と、黒い受話器を握り、寮母さんが呼ばわった、
 「東京の病院からですよ」
 「病院?仲間の誰かが事故にでも遭ったのかな?」
 康介は訝しげに電話に出た。
 『おめでとうございます!』
 知らない女の声だった、
 『元気な女の子ですよ!』
 「はあ。あなたのことですか?」
 『わたしは看護婦ですよ。いいですか。いまさっき、あなたの奥さんが可愛らしい女の赤ちゃんを出産なさったんです』


 年があらたまって、特別円・バーツ交渉は山場を迎えていた。日本側から、最終的に支払い可能な金額が提示される。池田隼人が口上を切った、
 「ご存知のように、現在わが国には、夥しい戦時賠償の請求が寄せられています。国内の復員者も膨大な数にのぼります。しかし、財源には限りがある。残念ながら、お国にお支払いできるのは九十億円が上限です」
 戦時中の三十億バーツを昭和三十六年現在の価値に換算するのは難しい。しかし九十億円となると、二十年分の金利はおろか、うっかりすると原価割れしかねない数字である。とてつもなく法外なディスカウント要求だった。あまりにも無法な要求に、団長以下、タイ側交渉団は互いに憤りを通り越した呆れ顔を見合わせた。ところが、ソムチャイひとりは誠実に池田の顔を見つめている。そして、呟くように言った、
 「承知しました。九十億円でけっこうです」 
 国辱的な、事実上の債権放棄に応じた交渉団に石つぶてを叩きつけるべく、ドンムアン空港には怒り狂う民衆が押し寄せた。
 「売国奴は帰ってくるな!」
 「もういっぺん日本へ乗り込んで"三千億兆"バーツを毟り取って来い!」
 あらん限りの罵詈雑言がソムチャイに投げつけられた。他の交渉団員も怨嗟の眼差しで、勝手に交渉を纏め上げてしまった顧問を睨んでいる。まさに孤城落日といった険悪な空気に取り囲まれながらも、ソムチャイは帰国早々、単身でチットラダー宮殿に参内した。
 ラマ九世・プミポン国王は、柔らかく唇を閉ざし、まるい眼鏡越しに慈悲あふれる眼差しで平伏する臣下を労うと、その真情と目論見に真摯に耳を傾けられた。
 「赤心を申せば、わたくしは今の日本が気の毒でなりません」
 かつて、攻守同盟の維持に生命を賭けた義士は冒頭で本心を吐露すると、愛国心に満ちた策略家の顔になり、
 「しかし、わたくしはタイ臣民です。したがってあの判断はひとえに日本国民に手向ける同情の所産というわけでもありません。第一にわが国益を慮りました」
 「卿が言う、国益とは?」
 温かみを含んだ物静かな口調で、国王は尋ねられる。
 ソムチャイは、忠良な虎の面持になった、
 「わたくしは確言申し上げます。遠からず日本は未曾有の経済成長を遂げることでしょう。そして、これからの経済活動は投資が主流になるはずです。さすれば地勢的に見て、わが国は日本人にとって最も理想的な投資環境であります。本格的な投資が始まれば、もたらされる利益は今回の債権の比ではありません」
 ここで言葉を区切ると、
 「さしあたって今の日本に必要なのは自国経済を存分に立ち上げるための資力です。現下の日本は財政的に決して豊かとは申せません。さなきだに経済成長に大切なのはタイミングです。わたくしは東京オリンピックを起爆剤にして日本は発展すると見積もっております。ですから、いまここで日本から金銭を持ち出すと、わが国に対する経済効果の糸口をも見失うと判断いたしました」
 あるいはこの時点で、五千万タイ人の中で、ソムチャイの意見を冷静に理解し、同意し得たのは国王ただひとりだったかも知れない。優渥に頷かれ、国王は一切を認められた。


 新しい時代が躍動していた。東京オリンピックが終わると、日本はいよいよ本格的な加工貿易立国として世界からその地位を認められるようになっていた。
 アラビアの青い空のもと、一等航海士に昇格したばかりの島崎康介は、その風貌の特長とも言える眩しそうな面持でブリッジから号令した、
 「錨をあげろ!」
 ペルシア湾は凪いでいた。ドバイの港を出港して、しばらくは肉眼で航路標識や陸上物標をあらためながらの沿岸航法で船位を求める。キシム島の南を回ってホルムズ海峡に差し掛かった頃、年配の通信士が電報の紙切れを手にして上がってきた、
 「精が出るな、一等航海士」
 「黙っていてくれ。いま、おれの手元が狂ったら船が沈むぞ」
 にやける初老男は無駄口を叩き続ける、
 「もう、五月も終わりだね。日本はあと半月で入梅だ」
 「ああ、そのとおりだ。梅干が食いたいね」
 乾いた砂漠地帯にいると日本人は軒並み梅干が欲しくなる。
 「お嬶ちゃんも欲しがっていたんじゃないのかい?酸っぱい食べ物を」
 通信士は電報を航海士の鼻先にちらつかせた。文面を一瞥し、康介は口元を緩めながらも、
 「この世にバカが一匹増えやがっただけだ」
 と、息子・康士の誕生の報せにコメントした。
 日本列島は高度経済成長の只中にある。康介が舵を握るタンカーは白い波しぶきをたてて、三百六十度、見渡す限り茫洋としたインド洋の大海原へ乗り出した。 

 ......


 島崎康士は、腕時計をのぞいて、冴木有佳の顔を夜陰に探した。
 「ずいぶん関係ない横道に回ったけれど、ようするに、ガチャ子さんはおれの運命を司るような象さんだった、ってわけ。彼女がいなかったらおれは生まれて来なかったし、この国の狸爺に可愛がられる理由もなかったんだ」
 「すごい奇蹟よだね、こんなめぐり合わせって」
 「ネギに感心される奇蹟など、この世にないと思うけれどな」
 いったんはぐらかし、島崎は皮肉な調子でいった、
 「すこし後でわかったけれど、おれが東南アジアに差し向けられ、ソムチャイさんの家へ連れて行かれることになった流れにはちゃんと種と仕掛けがあったんだよ」
 「種と仕掛け?」
 「そう。はじめから、タイ政界で干されている老境のソムチャイに島崎康吉の孫をくっつけようとする意志が見えないところで働いていた。それでも人間は所詮ひとりで生きていけない。あざなう無数の思惑や志しを軽視すれば自分の存在価値だって否定されてしまうだろう。からくりが判っても、奈落から聴こえる笛の音に合わせて踊り続けてみるのも一興だからな」
 スクムビット101/1の家々は、家族が持ち寄った豊富なおかずで夕餉の支度を整えている。島崎の長広舌に聞き入っていた有佳は、溜息混じりに言った、
 「何もかも偶然じゃないのはわかるような気がする。いま、こうして康くんがタイに住んでいるのも、それから、あたしが知らないうちに昭和の東京から、平成のバンコクへ飛んで来ちゃったのも」
 ここで有佳は子供らしい好奇心を垣間見せた、
 「それで、ソムチャイさんというお爺さんは、まだスクムビットのソーイ五十三に住んでいるの?怖そうだけど、せっかくバンコクに来たんだからガチャ子のお父さんに会ってみたいな」
 いつになく積極的な調子だった。
 しかしライターの火をクロンティップに走らせる島崎は間延びした声色で答えた、
 「二年前に死んだよ」






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