* この物語はフィクションであり、登場する人物、企業、
団体、一部政府機関の名称は架空のものです(著者)。




第三十一話




 深夜、街中の安ホテルにチェックインした島崎は、ポケットからカッターを取り出し、スタンドの暗い明かりを頼りにレインコートの襟の縫い目に刃をあてた。糸を切り裂くと、型紙代わりに縫いこんであった写真を引っ張り出す。長いあいだ封印されていた褪色著しい一葉は、島崎からステファニーにも有佳にも見せたことのない安寧の微笑を導き出した。ほっとした面持で写真を眺めながら、ひとつの原点に回帰しつつある男は硬いベッドに身を横たえた。
 「ざまあねえやな。あんたの前と後ろに立っている女たちにさ、いま、捨てられちゃったぜ」
 ビルマで撮った写真を見つめながらの独り言に、侘しさはなかった。
 「でも、これでよかったと思う」
 白々と輝く黄金のシェダゴン・パゴダを背景に、二十代前半の島崎と、同じ年格好の容姿端麗な土地の娘が並んでいた。娘の細い腰をしなやかに纏め上げるロンジーに比べ、若い島崎が巻きつける男物のそれはぶかぶかで、見るからに外国人だった。
 回想はつねに美化されていく。
 ステファニーとの喧嘩の節々で脳裏を過ぎった場違いな思考の数々が、ミャンマーが地図上でまだビルマと表記され、ヤンゴンがラングーンと記載されていた最後の年の風景へ収斂されていくのがわかった。

 ・・・・

 一九八八年。
 昨今でこそ、四週間の自由旅行を歓迎する政策をとっているが、厳格な鎖国体制を敷いていた当時のビルマ政府は、観光客も監視しやすい団体しか受け容れていず、滞在期限も一週間に制限されていた。
 二月だった。清水和彦こと島崎は、仏教団体の遺族会が主催する戦跡巡礼団に紛れ込み、金泥で南無阿弥陀仏と記された紫の袈裟をかけ、初めてラングーンへ赴いた。
 貨物室のないビルマ国営航空の小さな飛行機は、客室の前部に荷物置き場があつらえられており、山積みにされたトランクには荷崩れ防止の網がかけられている。面白かったのは、秘密主義の国の飛行機なのに、コクピットの扉が終始開け放たれており、機長らの仕草や進行方向の肌色に染まった空が見通せることだった。社会主義の発展途上国というのは、常識感覚も、おしなべて先進国スタイルの圏外に置かれているものだ。
 ビルマ唯一の国際空港でありながら、ミンガラトン飛行場にはフロアがひとつしかなかった。お陰で到着した旅客は、折り返しの便でバンコクへ飛ぶ出国者とごちゃ混ぜになった。どこが入国審査で、どこが税関なのか、はっきりしない。何度もこの国を訪れている団長は全員のパスポートを預かると、あきらめたような面持ちで、ひとつのカウンターの前に佇んだ。カウンターの内側では、日本人にとってはタイ人より親近感を覚えたくなる風貌の係官が三人、のんびりした手つきで出国する欧米人の老夫婦のトランクをまさぐっている。係官は上半身こそ糊の効いた制服を着ているものの、下半身はロンジーである。もう数十分荷物検査をされているらしく、老夫婦は顔を真っ赤にして困惑していた。思い余った元陸軍少尉の団長は、ビルマ人の役人を呼ばわり、ドンムアンの免税店で買ったウイスキーをカウンターの上に置いた。ウイスキーは瞬く間にカウンターの裏に消え、日本人巡礼団のパスポートにスタンプが捺されていく。これに併せて団長は途方に暮れる老夫婦に何事かを耳打ちした。半信半疑の白人男は、そっと懐から十ドル紙幣を取り出し、カウンターの上に載せる。紙幣は消えて、手荷物検査も終了した。入国する前から島崎は、まざまざと社会主義ビルマのはらわたを見せ付けられたような気がした。
 夕暮れの駐車場には粗い砂利が敷かれていた。待機していたオンボロの観光バスに乗り込むと、お揃いの袈裟をかける六十歳くらいの婦人が声を掛けてきた。
 「若い人とご一緒するのは珍しいわね」
 団員は、ほとんど全員が年配者だった。教団の上層部は萌草会ときわめて近しい間柄だったが、一般の巡礼者は若者の素性を知らない。
 「じいちゃんがここいらへんで戦っていたんです。ビルマって国にも興味があったし、大学の先生が法主さまに紹介してくれまして、今回は特別に混ぜてもらいました」
 祖父がビルマで戦っていたのは事実だが、大学の先生というのはでまかせだった。
 肩肘張らず、島崎青年はついでに今後の単独行動を仄めかすこともできた。
 初めて目にするラングーンの光景で、まず深く印象に刻み付けられたのは、この国の人々が、男も女も、老いも若きも、みな一様にロンジーと呼ばれる筒状の布で下半身を覆っている風俗だった。非活動的だが、見た目には優雅なスタイルである。例外的にズボンを穿いているのは、軍人や警察官、それに一部の役人くらいだった。
 タイと同じ上座部仏教の国だが、鉤のついた寺院の屋根は、意匠がやや異なっている。丸みを帯びたタイの仏塔を見慣れていると、先鋭的なデザインはずいぶんエキゾチックに思われた。僧侶の法衣もサフラン色のタイのそれより、赤みが深い。
 経済水準は、日本より六十年、タイより三十年遅れた国と見受けられた。
 にもかかわらず、どこかに軽んじたくない風情をたたえている点が、若い島崎には訝しかった。
 第二次世界大戦が終わった頃のラングーンは、バンコクより荒廃が目立たず、経済的にも豊かだったが、その後のビルマ式社会主義を標榜する鎖国政策によって、インフラは大幅に遅れをとった。世界最貧国LLDCの恥辱に自ら甘んじた。前年の十月に、闇両替商と箪笥預金者をうちのめした廃貨令が、更なる経済混乱を惹き起こしていた首都ではあったけれど、道を行く人々の表情は繊細にして豊かだった。
 頭の中で反芻する情報を現地の景色に照らせ合わせる島崎の視界へ、緑色のロンジーを穿いた小学生の群れが、真っ赤な夕陽に照らされて土の路肩を歩く姿が飛び込んできた。みんな楽しそうな笑顔でしゃべっている。低迷する経済など、彼らの話題に上がったりはしない。仏頂面で通した少年時代。島崎にとっては、幻めいた幸福の原風景が、乾ききった心に清涼な水のように染み渡っていく。
 「ビルマは、日本からいちばん遠いい、東南アジアの国ですが、心は、一番日本に近い、東南アジアの国です」
 代名詞を多用せず、痛ましいほど正確な日本語をバスの中で話しはじめたビルマ社会主義計画党員の男性ガイドは、実質的な監視役でもあり、ツアー参加者の勝手な行動を歓迎していなかった。それでも、しきりに夕食後の外出をせがむ若者に根負けして、ホテルの玄関では故意に顔をそむけてくれた。
 あとで、ラングーンの何処を見た?と訊かれても困るので、ホテルを出ると島崎は長方形に引き伸ばした碁盤の目のようなラングーン中心部の真ん中に立地するスーレパゴダへ立ち寄り、中を覗いてみた。裸足にひんやりした石の感触が心地よかった。須弥檀には供物が溢れ、静謐の中、敬虔に祈りを捧げる人びとがいた。こんな情景が、ネウィンの打ち出すビルマ式社会主義が、宗教を否定したソ連型の社会主義と区別され、まま日本でも「仏教式社会主義」と誤表記される理由かも知れない。
 歩道を歩いていくと、蒼白い蛍光灯のあかりを頼りに、小さな踏み台のような椅子で、人々が背中を丸めて茶をすする路上の喫茶店があった。駄菓子を売る店があり、乾物を扱う店もある。統制経済の下、どの商店も商品は乏しかったが、必ず店主と談笑する客の姿がある。うらびれたぬくもり、遠い昔、夢の中で見たような気がする情景だった。密輸された生活物資が辛うじて隙間を埋めるボージョーマーケットで経済の一断面をおおまかに把握すると、島崎は木炭バスにぶら下がり、北側の町外れに拡がるインヤー湖へ向かった。ただでさえ光源に乏しい市街を一歩離れると、あたりはいよいよ真っ暗になる。それでも人々は闇の中を器用に歩き回っている。郊外を行くこと二十分。人工的に夜目が利くよう訓練されている島崎は、辛うじて道路標識に丸暗記した文字を見出して現在位置を確認すると、木炭バスから飛び降りた。
 インヤー湖のほとりに邸宅を構えるウーナイン元国防相は、日本名を糸川太郎といった。
 若い頃、日本陸軍に抜擢され、三十人獅子のひとりとして、昭和十五年に東京入りした。神田の駿台荘旅館と浜松の弁天島で軍人教育と軍事教練を施され、亜熱帯の台湾と海南島で戦術を叩き込まれたのち、ビルマ独立義勇軍の将軍となって、日本軍が果たしえなかったヴィクトリアポイントの攻略作戦を自ら占領するなどのめざましい実績をあげているが、やがて旧友ネウィンとの政争にやぶれ、ここ二十年は隠居の身だった。ちなみに元国防相の同僚だったネウィンは、面田貞一。第二次世界大戦の末期に反ファシスト民主同盟を率い、後世カリスマ的英雄に祭上げられるアウンサンは山下恩二という。
 「戦後の日本で唯一のクーデター未遂事件があった年はいつだったかな?」
 引見した島崎に発せられる高度な日本語は、まったく錆びついていなかった。
 「三無事件ですね?あれは昭和三十六年です。自分はまだ生まれていませんでしたが」
 ビルマの老将軍は感慨深げにいった。
 「その年、義父のバーモウ博士が最後に日本を訪れた。私にとっても、今思えばそれが最後に見た日本だった。そうか、あの日本にまだいなかった人が、いまこうして私の前に立っている」
 ウーナインは、策士としても知られる独立ビルマの初代首相を務めた法律学者の娘婿だった。
 「おそれいります」
 若輩者は、“いま黄門”の異名をとる元首相から直接託された書簡を差し伸べながら、頭を下げた。
 「ビルマはどうかな?日本人には“ビルめろ”と言って、かつての日本を思わせるこの国に好意をいだいてくれる人が大勢いる」
 話題を切り替えて、ウーナインは自分の国の印象を訊いた。
 「そんな言い分を持ち出されては、ビルマ国民こそ、よい面の皮じゃありませんか」
 「ほう。それはどういう意味かね?」
 「日本人が思い込みたっぷりに古き良き自国の姿をビルマに重ね合わせるのはカラスの勝手でありまして、憚りながら、ビルマの若い人たちは、願わくはまずいハンバーガーを食べ、ばかばかしいスポーツカーを乗り回すライフスタイルを送りたがっているんじゃないか、と思うのでありますが」
 小気味良い微笑が投げ返された、
 「どうして君はそんな考え方をする?」
 「生まれついてのひねくれ者でして。なんとなく、そう思っただけです。じつは自分も下校途中の学童やスーレパゴダを見て、街をすこし歩きまして、早速“ビルマめろめろ”になりかけています。正真正銘のノスタルジーです」
 「戦争が始まる前の東京は、いまのラングーンみたいな雰囲気だったよ」
 ウーナインは声を出さずに笑った。歯に衣を着せない回答に満足したらしい。そして自らの思想を開陳した、
 「日本人は自分たちの国の、四季の美しさを誇ろうとする。しかし持たざる国の人間は、不毛の冬をひっくるめて歓迎している日本人の感覚が理解できない。いつでも田植えができるほうが都合がいい。この同じ空の下には、日本の春夏秋冬の雅に羨望の眼差しを向ける者より、不便な気性環境に同情を寄せる者のほうがはるかに大勢いることを認識するのが、これからの日本人には命題になるだろうね」
 一連の会話は、ウーナイン流の、初対面の相手に対するテストだったのだ、と島崎はようやく解釈した。手渡されたASEAN大学設立に関する書簡を一読し、ウーナインは静かに言った、
 「まだまだわが国には遠い未来の絵空事だ。今年はコメが不作だし、社会矛盾が多すぎる。ネウィンとはかつて“緬旬(ビルマ)”の『緬』の字を二つに分けた間柄だが、おそらく今年は大規模な暴動がおこるだろう。島崎君、といったね。君はまたすぐ、この街にやって来ることになるよ。今回とは、まったく別の任務を携えてな」
 そう言って、ウーナインの横顔は漆黒のインヤー湖へ向けられた。


 二度目のビルマ入りは、密入国だった。北部タイのメーホンソンからジャングルを抜けて最初の人里に辿り着くと、腰にロンジーを巻いてビルマ人に成りすまし、馬を一頭手に入れて、田舎道は馬上の人となって疾走し、村や町は馬子のふりをして通り抜け、五日がかりでラングーンに潜り込んだのだ。
 ウーナインが予告したとおり、ビルマ国内では三月に小規模な騒動が頻発し、四月になるとそれらが融合した反政府組織が体裁を整えていた。こうなるとたとえ団体であっても、観光査証の発給が停止する。島崎は上層部がODA凍結の是非を判断する材料集めとして、騒擾の流れをつぶさに観察するようにとの指示を与えられていた。
 タイ北部のメーホンソンから騎上シャン高原へ回り込み、反政府ゲリラに銃先を突きつけられながら中央平野を目指した。多民族国家のビルマには、じつに様ざまな顔立ちの人がいる。インド人みたいな者もいれば、色白で、まったく日本人と顔の形が変わらない民族もいる。
 ビルマの暑季は、タイに居付く者にとっても、信じられないほどの暑さだった。青空にくっきりと輪郭を描く黄金のパゴダは、熱病の幻覚にあらわれるお伽の国の建造物だった。
 「ソムチャイさんは、どうしている?」
 かつてポモージョに従い、祖国へ帰還した際、一緒について来たへそ曲がりのタイ陸軍大尉の消息を、ウーナインは懐かしそうに尋ねた。
 「相変わらずです。勝手なことばかり言っておられます」
 おっとりした貌立ちの娘が冷たい柑橘類のジュースを運んできた。家主と若い来客の前で膝をつき、優雅な仕草でテーブルにグラスをならべる。手つきは踊り子のように優雅で、物腰もやわらかい。淡いピンクのエンジー(シャツ型のブラウス)は絹でできていた。女中と呼ぶには、あまりにも育ちが良すぎる風情だった。
 「先生のご息女ですか?」
 美しく成長を遂げた昔馴染みの女の子と再会したような錯覚をおぼえる若者は、娘が去るとウーナインに尋ねた。
 「彼女はシャン族だよ。わけあって、ビルマ名を名乗っているがね」
 娘が異民族であることを否定語代わりに前置きして、ウーナインはいった、
 「しかし娘も同然だ。ミーミョーはラングーン大学の学生でね。日本語学科の中でも際立って優秀な子だ。ところが、ご覧のとおり、大学は反政府運動の温床と見なされて、ついこの前、閉鎖されてしまった。勉強したい若者が、政治家の都合で一生に一度しかない機会を奪われているのはまことに不憫だ。それで我が家の家事を手伝って貰う代わりに、面倒をみているんだよ」
 日頃、当たり前のように大学を休んでいる島崎には、それなりに耳が痛い言葉だった。同じサンスクリット語から派生した言語でありながら、チベット系のビルマ語は、タイ語に比べて語感に日本語に通じるものがある。そんな母語の素地が作用してか、ビルマ人が話す日本語はしっとり落ち着いた印象を残し、尻上がりがせわしないタイ人の日本語よりも自然に聴こえた。
 「日本語なら、ここでも少しは教えてあげることができる。ああ、島崎君、ついでだから、君もしばらくミーミョーの先生になってくれ」
 「はあ。やぶさかではありませんが」
 紅潮した顔を隠そうとするシャン娘に、戸惑う島崎は得意の屁理屈を見失い、どぎまぎした。老人のいたずら心に、一目惚れ、という言葉の実感に無知な若者は、これもビルマならではのカルチャーギャップの所産であろうと考えた。
 ウーナインの話は終わっていなかった、
 「ビルマ人の中には、タイのバンコクを先進国と思い込んでいる者だって少なくない。閉鎖された社会では、その程度の世界観を育むことしか許されないのだ。ミーミョーにとって、君はお伽の国からやって来た勇者なんだよ」
 「勇者とは大袈裟な。せめて王子様といってください」
 照れ隠しする若者だったが、老人の横顔には底知れないうれいがさしていた。
 「若い世代にその程度の世界観しか与えられないのが現実なのだ。このままでは、ビルマは本当に死んでしまう」


 「日本へ行ってみたいです」
 閉鎖されたラングーン大学日本語学科の学生が、はじめて島崎に語った言葉だった。晴れ渡る空と嗜虐的な太陽のもと、島崎は日焼け止めのタナカを頬に塗った端正な横顔を見つめていた。女というのはきれいなものだ、と、思春期をどこかへ置き忘れた若者は初めて思った。ミーミョーは菩提樹の陰で休んでいる辻待ちのリクシャー夫に声をかけた。ビルマ人に変装し続けないと活動ばかりか、町歩きも困難だ、と、ウーナインはいった。ロンジーが板についた島崎は、二人垳のリクシャーに乗ると、真面目くさった調子で訊いた。
 「いいんですか?ボクみたいな不法入国者とお寺見物へ出かけたりして」
 するとやんわりした答えが返ってきた。
 「お参りに行くんですよ。島崎さんは仏教徒じゃないのですか?」
 口篭もることはあったけれど、ミーミョーの日本語は完璧に近かった。強い陽射しに晒されると、頬にタナカの渦が巻く白い肌がまぶしかった。
 「そもそも、不法入国者でお寺へお参りに行くひとはありませんよ。誰も島崎さんを怪しんだりしないわ」
 ウーナインの邸宅を出ると、ミーミョーは珠をころがすような声色で元気よくしゃべるようになった。既視感だろうか?ゆっくり流れる真夏の景色。傍らの女とは、ずっと以前に、こうして間延びした時間を幾度か共有したようにも思われた。我に返って、島崎はいった、
 「というか、宗教はどうも苦手でして。はい」
 「そう?」
 上品な造作の眼差しを丸くする癖が、確かに誰かと似ていた。しかしそれが誰であるのか、島崎はよく思い出せずにいた。水田地帯は精彩を欠いていたが、瘤のつき出した水牛が用水池で泳いでいた。托鉢を終えた比丘の群れが、途方もなく巨大な仏舎利へ向かっていく。あたかも宇宙人がこしらえた黄金の要塞だった。
 「あれがシェダゴン・パゴダです」
 白魚のような指を丘の上の尖塔に向けて、ミーミョーが誇らしげに言った。
 島崎は首にかけたシャンバッグから小型カメラを取り出した。
 「ここで記念写真を撮りませんか」
 萌草会の人員としてはきわめて凡庸な提案だった。声を潜めてミーミョーは囁いた、
 「そのタイプのカメラは、スパイと間違われますよ」
 「だって、ボクはスパイですよ」
 ミーミョーは苦しそうに細い腹をおさえて笑った。政治的警戒心に乏しいリクシャーのこぎ手は、“どれ、こいつは素敵なカメラだ。日本製だな”などと言いながら二人をパゴダの前にならべると、楽しそうにシャッターを切った。強いて言えば、それから運命の瞬刻が訪れるまでの数ヶ月間が、島崎にとって素朴な恋愛感情を温めた唯一の時間だったかも知れない。


 雨季になった。六月も中盤に入ると、嘘のように雨がよく降った。この時期、ビルマにひとりの婦人が永住先の英国から帰国している。彼女を歓迎する異様な熱気はラングーン全域を押し包んだ。ミンガラトンの広場では、群衆のあいだから、ヒロインの名を連呼する歓声が沸き起った。しかし一方では、小銃を抱えた兵士がトラックからばらばら降りて、隊列が、街道という街道をしらみつぶしに封鎖していく。バラ線を巻きつけた木製のバリケードが立て並べられたスーレーパゴダを遠巻きに包囲していく。街角には、ものものしい対空機関砲までが据え付けられた。かつてべトコンが、ナパーム弾を抱えて急降下して来るアメリカ軍機に向けてぶっ放した7.7ミリだった。銃身は冷たく光っていた。ヘルメットを目深にかぶった兵士の唇はどれも石像のように動かなかった。
 そして八月。騒乱はついに沸点へ達した。

 「何を考えているんですか、ここの国の反体制派は?」
 島崎は、街頭デモをくりかえす一団を、故意に民主化運動とは呼ばなかった。ウーナインは読みかけの新聞を膝に置いて、しゃべり続ける若者を見た。
 「スーレパゴダに陣取りましたよ、連中は。軍にしてみれば、四方から容易に攻めることができる街の真中に陣取るなんて狂気の沙汰だ。彼らには本気で闘う気があるんですか」
 指導者の中に一人でも士官学校を出た者がいれば、騒擾の結末はまた違ったものになっていたかも知れない。丸腰の学生達は後背地の確保もせず、天然の防御物も忘れている。あたかもコンサートでもはじめるかのように、首都の最も便利な立地のパゴダに結集し、気焔をあげていた。少なくとも本気で鎮圧しようとしている武装した相手に対して一戦を交えようという陣形ではない。まるで、血祭りにあげてください、と言っているようなもので、戦術の定石を知る者にとって、その有様は正気の沙汰ではなかった。
 「彼らは、戦い方を知らないんだよ」
 将軍の意見は単純明快だった。
 「ところで島崎君は、囲碁が得意かな?」
 返答を待たず、古めかしい碁盤を取り出しながらウーナインが手招きした、
 「いくら教えても、ビルマ人に出藍の誉れが育たない。君は久しぶりの日本人なんだから、お手合わせ願おうか」
 仕方なしに、島崎は対局に応じた。
 「秘密警察が踏み込んできますよ。こんな暢気なことをやってたら」
 碁石を打ちながら、ウーナインはいった、
 「私自身が逮捕されるのは吝かじゃない。こんな国にしてしまった責任は感じている」
 「サムライですね、ウーナイン先生は」
 「ところで、いまの日本人には大和魂があるのか」
 相手はヴィクトリアポイントを陥落させた司令官である。一介の戦術屋はたちまち包囲されていた。 
 「さあ。すくなくとも自分の場合、はったり以外、ないかも知れませんね」
 「あ。君、その手はマズイよ」
 島崎が打った石を勝手に置き換えて自分を少し不利にすると、初めて深刻に悩み、
 「心配するな。大和魂は、我々ビルマ人が引き継ぐよ」
 と言いながら、辛くも危機を抜け出していく。勝負はウーナインのひとり相撲だった。
 「それじゃどうぞよろしくお願いします。我々日本人は今後商人として慎ましく頑張りますので・・・」
 敗北に居直る島崎が何か皮肉を付け加えようとしたその時、街の方角から、かわいた破裂音が響いた。
 「撃ったな」
 将軍は、かすれた声でつぶやいた。ややあって、小刻みな振動が加わり、どよめきを引き裂いた。
 「撃ちました」
 断続的な銃声を分析して、島崎は石をひとつ捨てた、
 「七・七ミリの対空機銃で水平撃ちしている。あれでは生身の人間など、ひとたまりもありませんよ」
 碁盤に並べられた碁石が虚しかった。
 「きみの役目は終わったようだ。ビルマは世界に見放される」
 「残念な結末です」
 ミーミョーがノックも忘れて駆け込んできた。
 “政府軍が、民衆に発砲しました!”
 泣き声に近い早口のビルマ語で、彼女はそう伝えたに違いない。
 「島崎君に頼みがある」
 うろたえきった若い娘を一瞥して、ウーナインは落ち着いた調子で言った、
 「ミーミョーを、日本へ連れて行ってくれんか」
 「は?」
 「萌草会の力なら、若い娘ひとりの亡命くらい、どうにでもなるはずだ。私はミーミョーに、もっと広い世界で勉強させてあげたいんだよ」
 島崎は、潤んだ瞳で自分を見つめるミーミョーから視線を反らして詰るように、ウーナインに言った、
 「ジャングルの中を抜けていくんですよ。女の足ではとても無理でしょう」
 ミーミョーの声が割り込んだ、
 「島崎さんを信じています」
 一世一代の意思表示をして、ミーミョーはにっこり微笑んだ。

 あくる未明、軍事政権はビルマ全土に戒厳令を布告した。

 逃避行は思った以上に過酷だった。ラングーンからタイのメーホンソンへ抜ける最短距離はすでに厳重な警戒網が張り巡らされている。島崎ひとりなら何とか突破も可能かも知れないけれど、ミーミョーを連れている以上、無理は禁物だった。
 マルタバン湾の海岸づたいにモールメイン郊外をすり抜けて、山間に潜り込むルートを選んだ。その地点から、まっすぐ東へ進めば、サンカブリというタイの小さな町に辿り着く。足が棒になる、などという生易しいものではなかった。擦り傷や切り傷が絶えなかった。ミーミョーの美貌もすっかり干からびた。それでも島崎が振り返ると、けなげに微笑んでは、遅れないようについて来る。イエの手前から山間の道に潜ると、そこでやはりラングーンから逃げて来た学生のグループと出くわした。
 しばらく行動を共にしたが、あくまでも道路を進もうとする一団と、ジャングルへ潜ろうと主張する島崎の意見が激しく対立した。噛みタバコを吐き捨てて、リーダーは言った、
 「我々は堂々と正面からタイへ入国する」
 「そうだ。ジャングルから行っても、道に迷う、毒蛇に噛まれる。生命の危険は同じことだ」
 結局、二人は一団とわかれることにした。しかし、分かれてすぐ、一団が進む方角から断続的な銃声が響き、撃ちかたはすぐに止んだ。島崎は銃声に関心を払わなかった。ポケットからタバコを取り出すと、すべてほぐして水にとき、脚に塗りつけ、ロンジーの裾にもニコチンをたっぷり染み込ませた。
 「ミーミョーさんも、こいつを足に塗っておくんだ」
 「どうして?」
 「ヘビはニコチンの匂いを嫌う」
 タリマンドの林を丸一日かけて歩きとおし、背丈よりも高い羊歯を掻き分けると、目の前に草原が横たわっていた。薄曇の空の下に監視小屋があり、傍らのポールの天辺では、青、白、赤の横縞五本の旗が翩翩と翻っている。時刻は午後三時二十分。しかし、旗がある場所は三十分だけ未来の三時五十分である。
 「ミーミョーさん!見えた!タイだ。あそこにタイの国旗がある」
 「国境に着いたんですね!」
 万感の喜びを隠そうともせず、ミーミョーは元気に身を乗り出した。
 が、生まれてはじめて異国の旗を映す虹彩が、刹那、曇った。
 間を置かず、ターンッ...と乾いた音がした。
 島崎の耳に銃声が達する前に、凶弾は娘の脊髄を打ち砕いていたのだ。
 ミーミョーは即死だった。

  真夜中に突然目を醒ますように、
  人間は時々、自分にもいずれ平等なる死が訪れることを意識する。
  そんな体験を積み重ねるうちに、
  やがてポジフィルムのような黎明が訪れ、
  一夜の夢にも似た人の一生は静謐の中で幕を引く。

 ヌルヌルと手を這い降りていく血糊の感触が、知覚神経を伝わって肺腑を抉る。悔恨から逃れることは一生かなわないだろう。ミーミョーの亡骸を背負う島崎は、精神の鈍化に救いをもとめ、そんなことを考えながら、タイの国旗を目指して草を踏み分けた。タイ軍陣地の手前なので、ビルマの狙撃兵は深追いして来なかった。


 ダムに開いた蟻の穴を補修する、と、福原は言ったが、誰の目にも、それは集中豪雨によって決壊した土手へ土嚢を積む作業以外の何物でもなかった。
 武藤が幹事役を買って出た昼食会は、タニヤで老舗とうたわれる寿司屋の二階座敷を借り切りって開かれた。緊急であるにもかかわらず、そこには福原党の主だった面々の他、通常ならお声のかからない末端のメンバーまで、およそ三十人が顔を揃えた。食事が済むと、自然の成り行きで軍議になった。
 「青眉も、スパキットにやられっ放しで、ちっとも頼りにならんじゃないの」
 「せや。わいかて、あいつら、もっと強いもんやと思ってた」
 自分は武器を持とうともしないくせに、空威張りで粉飾された負け惜しみが座敷に飛び交った。
 「債権の取り立ては、八田が絵を描いとるですよ。首根っこ押さえ込まれてパワラット地区の外道めら、もうワシらとは一緒には立てん、と抜かしおった」
 「そう言えば、顔が見えないね。福原さんには、さんざん世話になっているのに」
 「けっ。情けない奴らじゃ。あがいな者、頭数としてアテにするのは、やめにせんとな」
 ここにいる連中にしたって、いったい何人が滝一派の懐柔を本当に峻拒し続けているのか、知れたものではない。後ろめたさは、容易に攻撃性と結びつく。ことさら居合わせない他人を口汚く罵る輩は限りなく灰色に近かった。一堂の中には鈴木隆央もいたが、腕組みしたまま沈黙を決め込んでいた。
 「ちょっと、言わせてもらいます」
 越権行為を承知で末席から手を上げたのは、大半が逃げ去ったカオサン組のリーダー格、弦巻だった。剽悍に引き締まった褐色の肉体と、腫れぼったく脂がのった瞼は、この国に住む者でなくとも、試合直後のボクサーを連想するに違いない。
 「ドクター滝の帷幕には、イスラム教のやつらが多いのでしょう?だったら、連中を当て馬に利用すればいいんですよ」
 大人たちはまともな具体策を打ち出せない自分を棚に上げて、部下に去られた足軽頭を冷ややかに観察した。
 「策なら、あります」
 おい、イバクって何だ?といった類のひそひそ話を掣肘して、福原がのそりと身を乗り出した。
 「聞こう」
 弦巻は自嘲めいた口調で続けた、
 「どうせ他人の褌でとる相撲でしょう。サウジアラビアを持ち出すのです。すべての回教徒が無視するわけにいかない、イスラムの利益に関わる問題をね」
 どよめきがあがった。タイと日本、それに中国の三ヶ国ばかりに意識を集中させていた面々は、目から鱗が落ちたような面持ちで、にわかに存在感を示しはじめた陰気な若者を注視した。
 タイは八方美人の国である。
 バンコクには韓国大使館と北朝鮮大使館が揃っているのが象徴的だ。主体性がないので、どこの国とも波風を立てず、それなりに付き合っている。しかし、かなり深刻な度合いで外交関係がぐらついている国が、ひとつあった。
 サウジアラビアである。
 何年か前にサウジアラビアの王宮から財宝が盗まれるという事件が起きた。国名に苗字を戴く王家の恥辱である。官憲は目を皿のようにして財宝の行方と犯人の割り出しに奔走した。そして財宝の在り処より先に浮上したのが、タイ人で、就労目的でサウジアラビアに住んでいた容疑者だった。
 ところが、この男、事件の直後にタイへ帰国していることが判明し、サウジ当局は身柄の引渡しと盗品の返還をタイ国政府に要求するも、タイ側はこれを拒否、ひとまず身柄を拘束した被疑者をナコン・ラチャシマの刑務所へ収監する措置を以って、一件落着を図ろうとした。刑務所は見方次第で、外敵から身を守る要塞にもなりうる。犯人が収監された独房が、エアコンやテレビのついた、ついでに言えば、その道の女の出前サービスも受けられるVIP専用室であることは、戸を立てられない人の口を介して、もっぱらの噂になっている。
 サウジアラビアは、当然、納得しなかった。犯人の処罰の甘さもさることながら、肝心の宝物の行方は杳として知れない。「タイは国家ぐるみで犯人を匿い、サウド家の財宝を着服した」、と、国際社会でプロパガンダを展開した。
 痛いところを衝かれたタイは柄にもなく猛反発した。そして、国交が断絶したも同然の反目がはじまった。
 ただし、狡猾な国家という点では、タイもサウジアラビアも、大差はない。石油の取引をめぐる水面下の交流は続いていた。お互いに、外交官も退去せずにいる。ただし、この利害関係は踏めばすぐに穴が開くデリケートな薄氷だった。守ろうとする者は、どんな生贄も惜しまない。
 弦巻が向かった先は、アラブ人が屯するスクムビット五小路だった。







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