* この物語はフィクションであり、登場する人物、企業、
団体、一部政府機関の名称は架空のものです(著者)。




第二十話




 モントリー・スントーンの病状が安定したのを受けて、ナコンサワンからステファニーが帰京したのは、パスポート騒動が解決した翌々日のことだった。
 『ラチャダピセク通りのニックウ・キャピタルホテルへ来て。ロビーで待っているから。じゃあね』
 日本人なら夫婦の間であっても、“ご心配をおかけしました”の挨拶があってもよい場面だが、忙しない女は帰っていきなり夫を食事会に呼び出し、一方的に電話を切った。日本の航空会社が経営するホテルに着くと、いきなりフラッシュが焚かれた。ロビーで有佳が大きなカメラを抱えて立っていた。
 「なんだ。ネギも来ていたのか」
 「うん。ヌンさんが、一緒に来て、って言うから。でも、大事なパーティーなんでしょう?あたしなんかが来てもいいのかな?」
 有佳の戸惑いは、タイに住み始めたばかりの日本人がしばしば体験することだ。脈絡なく集いが催され、友達が友達を呼び、まったく関係のないやつまでが集まって、交友関係のフローチャートがまるで描けない顔ぶれになるのは、貧乏人も金持ちも同じである。
 「誘われたら何も遠慮することはないよ。京都で茶漬けに呼ばれるのとはわけが違う。大勢の人が来て、いっぱい食べてもらえると無邪気に喜ぶんだから、この国の宴会の主催者は。ところで今日は何の集まりだって?」
 有佳は心細く首を横に振った。
 「まあ、気にすることはない。たぶん、誰か知らないやつの誕生日か、誰か知らないやつの外国の友達の歓迎か、まあ、そんなところだろう」
 馬の骨が寄り集まって来るものだから、こうして会合の趣旨は次第に曖昧になっていくのである。
 「それよりどうしたんだ?そんなカメラ」
 機種は旧式だが高級品だった。
 「もらったの。ヌンさんに」
 階下のフローリストで仕入れた花束を抱えるステファニーが現れ島崎に言った、
 「誰の集まりだかわからないけれど、取りあえず用意したの」
 花束に挟まれたカードにはまだ何も書かれていなかった。ステファニーはパーティーが始まってから臨機応変に宛名と文面を書き込む気でいるらしい。しかるのち有佳に訊いた、
 「カメラ、気に入った?」
 「はい。まだ、ちょっと使い方がよくわかりませんけれど」
 英語で語りかける女に、有佳は素直なタイ語で答えている。
 「ナコンサワンの家にあったの」
 有佳の手許を見ながら、ステファニーは島崎に説明した、
 「昔おじいちゃんが買ってくれたんだけど、ヌンには写真を撮る趣味はないでしょう。だからユウカにあげたの」
 「それは格別なるお取り計らいで」
 礼を言うのはお門違いであるように思われた。素性不明の異邦の少女に、ステファニーは何故か好意的だった。有佳も、“康くんの連れ合い”を信頼しきっている。二人の間には理屈を超越した、島崎の目には見えない、感応し合う要素があるのかも知れない。
 ビュッフェ形式のパーティーを主催したのは、宝くじを当てたと言うローカル企業の役員だった。ステファニーに声をかけた大学時代の友人に職業軍人の兄がいて、その兄が”顧問”として出入りしている会社でデレクターを勤めているのが、つまりこの主催者だった。
 「こちら、トイ」
 やけに肥えた華人女を、ステファニーは島崎に紹介した。
 「大学の友達。サイアムポストで日曜版を担当しているの」
 島崎にとっては、極東化成の一件で結果的に尻拭いを手伝わせたジャーナリストである。初対面の挨拶は、会釈にとどめておいた。
 「シマザキさんね。噂はいろいろ聞いているわ。ヌンは何も言わないけれど」
 「ははは、どうせよからぬ噂でしょう」
 「ほほほ、日本領事館の人たちにとってはそうなるでしょうね」
 見た感じは魯鈍で声色もふやけていたが、トイという女にも油断のできない策士の横顔が見え隠れしていた。地元のジャーナリストは会社の名刺にフリーのメールアドレスを書き加えて島崎に手渡し、素知らぬ顔で他の人垣へ移って行った。
 「モントリーさんの容態は、本当に大丈夫なのか?」
 島崎が小声で訊くと、ステファニーは口を閉ざした。自分を友軍に引き合わすため、妻は一旦ナコンサワンから引き返して来たのではないか、と島崎は察していた。
 「学校に通い始めたんだって?楽しい?」
 島崎の問いかけから逃れるように、ステファニーは有佳に訊いた、
 「お友達はできた?」
 「はい。みんな親切です」
 「ルンピニの学校ならヌンが送ってあげるわよ。事務所のすぐ近くだし。...でも、どうして日本人学校にしなかったの?」
 「だって、ここはタイですから」
 島崎の顔を盗み見しながら有佳はこたえた。日本の学校はハイテク化が進んでいる。B5ノートのパソコンは与えているが、いきなり平成モードの少年少女たちと合流しては、昭和の娘がノイローゼになりかねない。そんな島崎の真意はだいたい有佳にも伝わっていた。
 「たくさん食べた?」
 「はい。もうおなかいっぱいです。美味しかった」
 女と少女は、金運が輝く主催者に花束を押し付けると、談笑を続けるトイに目で暇乞いして、パーティー会場を後にした。皿に盛ったばかりの料理を慌てて平らげ、島崎は頬を膨らませながら、キーボードを叩く仕草をトイに送り、二人を追い駆けた。
 ホテルの正面玄関でステファニーは有佳からカメラを受け取ると気紛れな調子で言った、
 「ふたりとも、そこに並びなさい」
 島崎と有佳の写真を撮る気でいるらしい。
 「おのぼりさんみたいだな」
 ぶつぶつ言いながら島崎は有佳を手招きした。考えてみると御殿山小学校の時代を含めて、ふたりがツーショットでフレームに納まるのは、これが初めてかも知れない。
 「ちょっと待った、ヌンさん」
 突然島崎は手を挙げ、航空会社のロゴとホテルの名前が刻まれているプレートを指した、
 「ネギはそっち側に立って」
 このホテルの歴史はきわめて浅い。まだオープンして二年目くらいである。そして、有佳の服装だが、たまたま昭和の時代から身につけてきたギンガムチャックのシャツを着ている。場合によってはこの写真を、日本の関係筋に送ろうと、ほんの数日前に危うくH鋼の下敷きになりかけている島崎は思った。現実主義者は、神隠し現象の目撃者を茶化した、
 「なによ、変な構図ね。それと、その位置だと逆光になるわよ」
 「いいんだ、これで。逆光のトリック写真をつくるのは難しい」
 わけのわからない指示を尊重して、シャッターが切られた。
 「はじめて使ったわ、このカメラ」
 有佳の手許にカメラを戻して、ステファニーは平然と嘯いた。
 「こっちのほうも、初めて使うんじゃないのか?」
 駐車場に停めてある青い車を指して、島崎は皮肉を言った。
 「チャトチャクで乗り換えて来たのよ、汚いファレスターと」
 へらず口を叩きながらBMWのドアに手をかけた刹那、ステファニーの携帯電話が鳴った。間髪置かず、笑顔がみるみると曇った。
 「おじいちゃんが、たったいま死んだわ」
 「...」
 覚悟はできていたらしい。気丈な女弁護士は、涙を見せなかった。
 「コウ、わるいけれど、ユウカとタクシーで帰って。ヌンはこれから事務所に寄って、その足でまっすぐナコンサワンへ行くから」
 「それじゃ、おれは着替えを取りに行ってから、ユウカをイサカさんのマンションに預けて、ルンピニに出る。事務所でしばらく待っていてくれ」
 訝しげな面差しでステファニーは島崎を見た、
 「コウも行くの?」
 「あたりまえだろう」
 タクシーに乗り込むと、会話を理解していた有佳が言った、
 「ナコンサワン。あたしも行ったら、だめ?」
 島崎は自分の耳を疑った。
 同じ年恰好の康士の前では、まかり間違っても見せることのなかったでしゃばりである。
 「パーティーとは違う。遊びに行くわけじゃないぞ」
 いくらなんでも、聞き届けるわけにはいかなかった。
 けじめは必要だった。
 「学校もあるんだし、わざわざ見ず知らずの年寄りの弔いに立ち会うこともないだろう?」
 有佳の一重瞼には、置いてけぼりを食らう恨みがましさはなかったけれど、一抹の物悲しさが湛えられていた。
 「心配するな。留守のあいだ、ほんの数日間だけ、井坂さんのマンションで厄介になればいい」
 未練がましく、有佳は言った、
 「ヌンさんのお爺さんに、あたしの分もお線香あげてね」
 「はいはい。わかった、わかった」

 ナコンサワンの立地は中途半端である。国内線の飛行機で行くほどではないが、陸路だとかれこれ六時間くらいかかる。ホアランポーン(バンコク中央)駅でチェンマイ行きの夜行列車に乗ったのは夕方だった。
 「てっきり車で行くものとばかり思っていたよ」
 「たまには列車もいいわ」
 列車は中央駅を出発してもしばらくの区間は在来線のような走り方をする。四つ目の駅に停車すると、どやどやと賑やかな売り子たちが乗り込んできた。
 「ご飯食べる?」
 「いまさっき、ホテルでご相伴に預かったばかりじゃないか」
 「ナコンサワンに着くのは真夜中だし、そろそろどこの街でもお弁当屋さんはみんな眠る時間帯よ。食べられるうちに食べておきなさい」
 青い合成皮のシートで寛ぐステファニーは丁寧な口調で売り子を呼び止めると、弁当を一折買い求め、島崎の膝に載せた。
 「ヌンはいらないから、ゆっくり食べなさい」
 忌中とは言え、この穏やかさ。やはり彼女にしては尋常ではない。優渥な態度が、島崎にはかえって薄気味悪かった。
 「お爺ちゃんは、三十八歳のとき、こうしてバンコクをあとにして、ナコンサワンへ移り住んだの。タイの永住権を取るための、婿入りだった」
 列車はゆっくり中部タイの蒼茫とした沖積平野へ滑り出す。景色が淡いピンクに染まっていた。
 「モントリーさんは、タイ国籍だろう?」
 「ええ。ベトナム戦争が始まると、どさくさに紛れてタイ人になったの。でも、最後まで中国人としての生き方は変えられなかったみたい。病院でおじいちゃんの寝言を聞いたけれど、ヌンにはわからなかった」
 島崎は、日本語で呟いた、
 「わからないのが普通だよ。唐人の寝言だから」
 夕暮れの水田地帯を見つめる女の顔が、車窓のガラス越しに訊いた、 
 「コウ。あなたは、日本を捨てられる?あなたは、この世で最後の一言を、どこの国の言葉で締めくくるのかしら」
 「よせよ。縁起でもない・・・まあ、セマクテにしておこうか」
 「あなた。変わったわね」


 焼け爛れた褐色の土埃が、暑季にはいった穀物の町を吹き抜ける。白い仏塔と、橙色と深緑の瓦で葺いた屋根は、すぐ目についた。鮮やかな山門をくぐると、そこは霊域である。 コンクリートで舗装された境内の打ち水が、降り注ぐ直射日光をキラキラ照り返していた。
 モントリー精米所の社員たちの手によって、男児の直系に恵まれなかった会長の葬儀の段取りは整えられていた。日本式に言うと社葬である。ほんの十年も前には、葬式に一年以上も時間をかける独特の習慣が残っていたタイであるが、現在では、日本並みに迅速な儀式で弔いを済ませてしまうケースが多くなっている。弔問客が着る喪服の様式も日本と変わらない。女は黒い洋服で、男は黒い背広と黒ネクタイである。
 しかし、花輪だけは趣が異なる。極彩色の生花が用いられ、寸法も小さい。贈り主は、黒いボードに白い文字で死者を悼む言葉を書き添える。厚みある華僑人脈を物語ってか、漢字の文面も目立ったが、中には日本語もいくつか混ざっていた。
 そんな花に囲まれる遺影は、ずいぶん若い頃のものだった。ステファニーは親族の席に着いたが、島崎は所在無く、斎場をふらふらして儀式が始まるのを待った。流石に精米業界の重鎮だけに、弔問客はバンコクからも大勢やって来た。経営の多角化を象徴するように、コメビジネスとはまるで関わりなさそうな日本人の姿もちらついている。花輪の贈り主たちであろう。ベアリング工場もいれば、包装資材の製造業者もいる。外務省に出向し、日本大使館に詰めている農林水産庁の官吏の姿も見受けられた。
 弔問客の顔ぶれは、モントリーの意志を推し量る手懸りだった。
 寺男が、境内の人々を本堂へ招じ入れた。折りたたみ椅子に着席した参列者が合掌を捧げる中、サフラン色の法衣をまとう僧侶が厳粛な縦列を組んで現れ、須弥檀に座ると読経が始まった。
 この白昼の儀式は日本で言うところの通夜にあたり、本葬はその日の夜に行われる。本葬が終わると、参列者による献花が行われ、荼毘に附される日まで、遺体は地中の冷凍室に安置される。転生を信じるタイ人は、一種のホロスコープによって、よりよい来世に通じる荼毘の日取りを決めていくのである。
 白昼の通夜が済み、テントに設けられたお清めの席を覗くと、二十代後半とおぼしき日本人の青年が声を掛けてきた、
 「失礼ですが、島崎さんですね。この度はご愁傷さまです」
 ___ この男は誰だ?___
 気になる体臭を嗅ぎつけて、島崎はじっくり相手を品定めした。日本人とはいえ、後ろで結ったオールバックの長髪と、彫りが深くて引き締まった褐色の顔に蓄えられたラテン風の口髭が強烈な個性を主張している。交遊関係の範疇で思い当たる顔ではなかったし、趣味も違う。刹那、テレビか雑誌で顔を見たことがあるミュージシャンかとも思ったが、真っ黒に日焼けしたごつごつの掌は、あきらかに肉体労働者のそれだった。いかにも借り物然とした喪服の背広がこれほどよそよそしい参列者は、他に見当たらなかった。だが、同時にあらたまって喪服をまとわずとも、この青年の周囲には、つねに鎮魂歌が流れているような風情もある。
 「はあ。それはご丁寧に、どうも」
 ___ 気のせいか ___
 この男の前と比べてみたら三宅など、善良な優等生でしかなかった。見ず知らずの胡乱な若者から義理の祖父にお悔やみを言われるのは、しっくり来ない。会釈して立ち去ろうとする故人の孫娘の夫は、しかし背後で青年が突然口ずさみだした奇妙な節回しの歌に、思わず歩調を停めていた。
 「赤き心で、断じてなせば、骨も砕けよ、肉また散れよ」
 それは知る人ぞ知る、『蒙古放浪歌』の替え歌だった。
 気になった理由に合点し、島崎は諦観をこめた微笑をうかべ、小節を結んだ、
 「君に捧げて、ほほえむ男児 __ 」
 この歌には、『三々壮途(さんさんわかれ)の歌』という題名がつけられている。
割符が合い、若者は、しゃんと背筋を伸ばして一礼した、
 「申し遅れました。自分は、萌草会対アジア政策立案推進部会、インドシナ班付け広報調査員の稲嶺庄之助です」
 自嘲めいた可笑しさがこみ上げてきた。
 「それはどうも、お役目ご苦労さまです」
 一族の掟を破り、仲間に追い詰められて行く伊賀者の心境がひしひしと理解できた。もうどうにでもしてくれ、といった面持で返礼する「抜け忍」に、役目を引き継いだ現役は、誠実な口調で自己紹介を続けた、
 「当地へは青年海外協力団から北部タイの農業指導員として派遣されました」
 眼光は鋭いが、殺気ははらんでいない。斬り捨てられる心配は特になさそうである。
 「なるほどそうでしたか」
 わずか十年余りで、国際情勢はずいぶん様変わりしていた。ソ連が消えた影響から、後輩たちは身分の隠匿のために費やす手間がかなり軽減されているらしい。青年海外協力団と、昭和三十年代初頭に旧日本陸軍第三十三部隊出身者や満州鉄道のOBが興した在野の政策研究グループ・萌草会のあいだには、組織上、一枚のオブラートが挟まっているに過ぎなかった。ちなみに、旧軍の第三十三部隊は、今日、中野学校という別名で、知られている。『三々壮途の歌』は、戦時中この“三々”部隊で自然発生した隊歌であった。
 稲嶺は、おもむろに一冊の男性週刊誌を差し出した。
 「読みますか?自分は、同じ号をもう一冊持っていますので」
 表紙に並んだ誇張だらけの見出しに魅力はなく、数ヶ月も前のものなので、鮮度にも欠けている。傍目には、ずいぶん人を馬鹿にした情景だった。しかし島崎は、深々と後輩に頭を下げた。稲嶺は言った、
 「自分はこの足でバンコクへ行きます。“8283−7694−5543−0”・・・で、如何でしょうか?」
 錆びつき具合がテストされていた。貰った週刊誌をぱらぱらめくり、島崎は答えた。
 「なるほど、“8283−7694−5543−0”ね。了解」 
 ふたりの男は行き交う人目をはばかることなく、旧陸軍式の会釈を交わして別れた。
 「あいつ、これまで何人殺してきたのだろう」
 島崎は平然と稲嶺に関する率直な印象を独り言に託した。自分の前では猫を被っているけれど、稲嶺庄之助の過去はどす黒い腐臭と真っ赤な鮮血で彩られているに違いない。おまけに見せ掛けの性格は明るかった。
 「真面目に利用されておけば、殺されることはなさそうだ」
 急遽、あくる朝までにバンコクへ戻らなくなった男は人ごみに妻の姿を探した。ステファニーはひとりの婦人と立ち話していた。
 「コォトォトカッポン(御免あそばせ)...ちょいと、ヌンさん」
 割り込んだ男に婦人は聞き覚えがある声色の日本語で声を掛けた、
 「島崎さん?」
 「うへっ!社長」
 後姿の女は誰あろうマダム幸恵その人だった。
 「あなたはこちらの・・・?」
 「連れ合いですが」
 しめやかな式場の雰囲気がならしめるのか、島崎のうろたえが長引くことはなかった。むしろ面喰ったのは弔問客のほうだった。
 「そうだったの。心臓がとまりかけたわ」
 初めて目にするマダムの狼狽だった。
 「では、また夕方伺います」
 ステファニーに会釈してサイアム新報の社主は足早に立ち去った。ムスクの残り香が鼻についた。
 「どうして、あの女が来ているんだよ?」
 「よく、おじいちゃんの所へ訪ねて来ていた人よ。ジャーナリストでしょう?コウと同じテーマを追い駆けていたんじゃないかしら」
 テーマとはいまさら申すまでもなく、“平成五年・コメ騒動”のことである。
 「狡い真似をするな、あのババア。おれが書いた原稿は没にしたくせに」
 しかし、夫とはまるで異なる疑念を察知するステファニーは小指を噛んでいた。
 「ひょっとしたら、あのひとが...」
 「あの人が、どうした?」
 「ううん。ちょっとへんなことを想像しただけ」
 日本の週刊誌を手にする島崎は、用件を切り出した、
 「今夜、本葬が終わったら、すぐクルンテープへ引き揚げたいんだ。急用がはいった」
 「いいわよ、べつに」
 しかし、弁護士という職業もまた、多忙だった。ステファニーも携帯電話のマナーモードを解除すると、液晶画面を覗き込み、
 「仕事がはいったの。ヌンもいっしょに帰るわ」
 「ずいぶんドライだな。おれはともかく、ヌンさんは肉親だろう」
 「死んだ肉親より生きている他人を大切にしろ...これがおじいちゃんの考え方だったわ」
 そばにいたモントリー精米所の専務が、話を聞いていた、
 「お嬢さま」
 申し訳なさそうな面持で、赤蛙に似た男は寺の外に止めてある四トントラックを指して言った、
 「快適さには欠けますが、つまり、会長のご恩に預かった運転手が、悲しみの余り臥せってしまいまして、つまりその」
 「トラックをクルンテープまで廻送するのね?いいわよ、ヌンもたまには会社のために働かないと寝覚めがわるいものね」
 そして、当然のように島崎を省みた、
 「コウは運転できるでしょ?」
 帰りは結局、車になった。コメを満載した四トントラックは、夜も更けた国道の一本道をひた走った。
 「専務には偉そうなことを言っておいて、働くのはおれじゃないか」
 ステファニーは助手席でうたた寝していた。
 「こういうドライブに憧れていたの。BMWじゃなくて、こんなトラックに乗って、真っ暗なところをいつまでも走るドライブ」
 目を醒まして、女はかすれた声で言った、
 「朝になったら、どこか、知らない町に辿り着きそうな気がする」
 有佳と似たようなことを言う。
 こんなステファニーの逃避願望は、新発見だった。
 「おじいちゃんが、やって来た道を、見ているみたい」
 「華僑青年・林鉦文が通った道か。感無量だな」
 モントリー・スントーンこと林鉦文が、ソムチャイ・ポラカンの右腕だったことは、島崎もよく知っていた。いまから十年ばかり前に鬼籍入りしたステファニーの祖母は、その実、ナコンサワンの大地主・スントーン家に嫁いだソムチャイの妹だった。適当な跡取りも出来ないうちに当主が死に、しかしそれでも嫁ぎ先に留まっていた未亡人は、兄が推薦する中国人をあたらしい婿に迎えている。スントーン家は、すっかり他家の者と異民族に乗っ取られてしまったことになるが、この程度の話しなら混沌の大地インドシナにはくさるほどある。事新しく寄生や乗っ取りをあげつらう道義感覚はなかった。
 「でもね、ヌンはわからないの。話しなら聞いているけれど、タイ人として生きるようになる前のおじいちゃんの三十八年間。どんな気持ちで暮らしていたのか、知りたかった。だから昨日、列車の中でコウに訊いたのよ、この国に骨を埋めようとしている“日僑”の気持ちをね」


 モントリー・スントーンの華名は、林鉦文といった。
 出生については、辛亥革命が始まろうとしている時代に広東の潮州で生まれた、というところまでしか判っていない。林という姓から、大雑把ではあるが、もともと華南地方の血筋であったと推察できるが、両親とは早くに死に別れ、幼い遺児は周囲の庇護を受けつつ、革命の混乱に揉まれて成長した。
 いずれにしても浮浪児同然の鉦文の暮し向きは貧しかった。九つになる頃には、福州の港で荷担ぎ人足として働いた。小さな身体に課せられる大人と同じ労働は辛かったが、毎日帆を張って沖に出て行く船を眺めているうちに、少年の心に見果てぬ異国への憧れが育まれていった。
 十七歳の春だった。すこぶる魅力的な話しが耳にはいってきた。イギリス人が福州港の二倍の賃金で、鉱山労働者を集めているという。持ち前の渡航願望に加え、“空腹を抱えずに済むのなら、何処の国でも行ってやる”と鉦文は考えた。治乱興亡がめまぐるしい中国大陸は、こんな無鉄砲も必然と弁えざるを得ないほど、絶望的な状況だったのである。かくして劣悪な貨物船に積み込まれた鉦文は、いつになく明るい月光にあらわれる故国の海岸線に別れを告げた。
 かくして半月ののち、英領マレイ・クアンタンの港で仲間とともに船を降ろされた若者は、同国人の後輩を奴隷のように扱う手配師にしたがって、徒歩、山がちな半島を横切り、ネグリスンビランの錫鉱山に身を寄せている。
 労働環境はひどいものだったが、植民地支配のコツを弁えるイギリス人の経営者は手堅く、賃金は滞りなく支給され、三度の食事も保証されていた。浪費を知らない鉦文は、マレイに来て二年もすると、そこそこの貯えをこしらえていた。
 二十一歳になって間もないある日のこと、仲間のひとりが州都・セレンバンの女郎屋へ遊びに行こうと言い出した。
 林鉦文は背が高く、一見肉体労働者らしからぬ、なかなかの好青年ぶりだったが、労働に明け暮れる少年時代を送った彼は、この年齢になってもまだ、女の肌に触れた経験がなかった。女郎屋に着いても、誘った仲間はさっさと相方を決めて登楼してしまうし、何をどうしていいのかさっぱりわからない。おまけに、持ち合わせが少ないので、あまり高価な女には手が出なかった。
 有り金を見せて遣り手婆にすべてを一任せると、宛がわれた相方は赤い湯文字を纏う三十路の坂にさしかかった女だった。中国青年にとって、見慣れない形に結われた髷には、漆塗りの小さな簪が挿してある。それは、鉦文の故郷よりもさらに遠い北東の海上に浮かぶ島国からやって来た女だった。精悍な若者に、年増女は小娘のような仕草で会釈した。中国人の庶民には、こんな慎ましい挨拶の習慣がない。ある種の好ましいカルチャーギャップが、若者の胸中でさざめいた。女は背丈が低く、全体にほっそりしていて、小作りな顔には娼婦らしからぬ誠実さが湛えられていた。筆おろしの相手だから、むしろ年齢は高いほうがよい。童貞のわりに冷静な若者は、この年増女を歓迎した。
 寝物語で、手ほどき係の女は広東語を話した、
 「ネグリスンビランはね、あたしの故郷なのよ」
 男になったばかりの青年は、困ったことに、この女を本気で慈しむようになっていた。冗談めいた科白をやり過ごすことができず、
 「うそだ。あんたは日本人じゃないか」
 と、童貞のような声色で若者はぎこちなく言った。これを受けて女はくすくす笑った、 「だって、マラヤの言葉でネグリは『州』、スンビランは『九』でしょう。つまり九州。あたしが生まれ育ったのは日本のネグリスンビランで、長崎というところ。町には大きな唐人町もあるのよ」
 やんわりと、鉦文の乾ききった心に沁みこんでくる声だった。
 純朴な若者は、よっぽど首っ丈になったとみえて、翌日からこの女郎屋に通いつめ、ついには四年間錫鉱山で働いて蓄えた財産を叩き、ひと回り年上の女を身受けしてしまった。
 仲間たちは林鉦文の狂人沙汰を酒の肴にして、笑い転げた。

 昭和十二年の七夕、北京郊外で盧溝橋事件が勃発した。
 八路軍が謀略で放った銃弾をきっかけに、満州の関東軍は北支へ雪崩れ込み、蒋介石率いる国府軍と全面戦争に突入したのである。
 英領マラヤは南洋華僑の日貨排斥運動の一大中心地と化していた。やがて戦局が進むに連れ、反日の嵐はエスカレートし、東海岸地方では、道端で遊んでいた日本人の子どもまでもが暴徒化した華僑に惨殺されるなどといった酸鼻きわまる事件が頻発するようになった。
 この頃になると林鉦文は錫鉱山の苦力生活から足を洗って久しく、持前の才覚で、身請けした女と一緒に吉隆坡(クアラルンプール)に洗濯屋を開いていた。だがこんな世情では、鉦文が真っ先に考えなければならなかったのは、妻の身の安全だった。
 上海の日本軍が内陸部に向けて進撃を開始した、というニュースが伝わってくると、いよいよ鉦文は潮州人の縁故を頼って、タイへ移住する決意を固めた。
 これは、バンコクに同郷人が多いという理由からではない。中立国は、自国の社会秩序を乱す異邦人を極度に嫌うものである。当時の国際連盟でただ一国、満州帝国の建国を承認したタイでは、そこに住む華僑も、感情にまかせて日本人の生活を徒に阻害するわけにはいかない立場に置かれていたのだ。
 鉦文と長崎の女は、マレイ半島の西海岸を縦走している道を一路北上し、深夜、国境のパダンベサールに辿り着いた。ところが、タイのゲートは固く閉ざされ、真夜中の入国者を拒んでいる。マレイ側でも、カーキ色の軍服を着て頭にターバンを巻く英印軍の兵士が、身元の定かでない人間たちの往く手を遮っていた。鉦文も女も、通行手形は持っていなかった。時節柄、各国の間諜たちの溜まり場と化したパダンベサールの町は、長く留まること自体、危険だった。
 仕方なしに、二人は監視網の目を掠めて、昼なお暗いジャングルへ迂回した。頭上から襲い掛かる蛭に苛まれながら数日間樹間を彷徨い、ついにタイ領べトンの街に転がり込んだときは、どちらもアメーバ赤痢にやられ、生きているのが不思議なくらいの衰弱ぶりだったという。
 バンコクに住むようになった林鉦文は、潮州会館の信用と援助を取り付け、安食堂をはじめている。場所は、市の中心部からすこし離れたクロントイ地区の内陸部、現在のスクムビット通りソーイ三十一だった。自由な活気にあふれる独立国の王都は、林とその日本人妻にとって、まさしく夢のような別天地だった。寝る間も惜しんで、夫婦は朝から夜遅くまで働いた。
 店が暇な時間になると、女はよくこんな話をした、
 「ヤソじゃ“楽園を追われたアダムとイブは働く苦しみを与えられた”って言うけれど、あたしたちの国を創った女の神さまは人々に“働くことは喜び”って教えたんだよ。だから、秋にたくさんのおコメがとれると、みんなで神社に集まって、豊葦原の神さまに感謝を捧げるの」
 凶作の年に、幼い弟や妹を飢えさせないため、自ら南洋へ売られて来た当事者の口調に、無情な神々への面当てめいたものはみじんも感じられなかった。それに、この女には、アダムとイブなどと、およそ遊女らしからぬ語彙を持ち出す教養が備わっている。様ざまな知識を授けてくれる妻は、学び舎を知らずに人生を送ってきた林にとって、文字通りの姉さん女房だった。
 そうするうちに、店は流行り、常連客も増え始めた。貧乏人相手の商いだったが、中には毛並みの変わった客もいた。店の真向かいに、マンゴーの樹に囲まれる、大きな屋敷がある。時の経済大臣の持ち家で、陸軍司令部に勤務している若殿の名前はソムチャイ・ポラカンといった。ソムチャイは貴族のくせに、妙に泥臭いところがあって、林がつくる潮州粥やマレー風カオパッ(ナシゴレン)が大のお気に入りだった。
陸軍中尉の軍服を身につける若殿は、しばしば出勤前や帰宅前に林の店へ立ち寄った。
 ある日の晩、久しく姿を見せなかったソムチャイがふらりと現れた。 
 「しばらく見かけませんでしたね、若様」
 「うん。父上のお供で、トウキョウに行っていたんだ」
 「へえ。日本へですか」
 「ああ。軍事同盟締結の下準備だよ」
 あっけらかんと、中尉は言った、
 「そろそろわが国も、進むべき方向を明確に打ち出さないといけないからな」
 アジアを取り巻く政治情勢は、日本が自らの国力を省みないで推し進めている膨張政策に伴い、日一日と、キナ臭さを増していた。
 「あ...リンさんは日本人が嫌いだったかな」
 ソムチャイは、相手が華僑であることを思い出したらしい。
 感情を覗かせることなく、店主は淡々と答えた、
 「日本の軍部のやりかたは確かに面白くありませんよ。しかし、だからといって、商人の子どもの首まで、大の大人が寄ってたかって斬り落としてもよい、などという法はありますまい」
 拍子抜けした面持で、辛口の日本論を漠然と期待していた天邪鬼は言った、
 「かわっているね、リンさんは」
 中国青年の妻は傍らで困惑しきったような笑みをのぞかせている。林は声を潜めて耳打ちした、
 「家内は日本人なのです」
 「ふうん」
 中尉は感心して店主の妻に向き直った、
 「コンニチワ」
 恥らうように四十女はペコリと二十九歳になったばかりのタイ軍人にお辞儀した。仲睦まじい夫婦は、この上なく幸せそうに見えた。だがその時期、海南島へ進出している日本陸軍第二十五軍では、すべての将兵が自転車に跨って林間の道を行軍するという前例のない奇妙な演習が行われていた。また仏印からは、日本海軍陸戦隊の平和進駐のニュースが伝えられている。
 人類にとって、二度目の世界大戦が目前に迫っていた。
 近代アジア世界の底辺を生き抜き、宿命の糸で結ばれ合った人びとが平穏に暮らすバンコクの街も、いつまでも大いなる時代のうねりの圏外に在り続けるわけにはいかなかったのである。
 「大陸の戦火は遠からず、このインドシナにも及んで来るよ」
 ソムチャイの陰鬱な見通しを暗示するかのように、黒く巨大な雨雲が沸き起こる空の下を、玩具のような市電がカラカラと頼りない音色のベルを鳴らして通り過ぎていった。

 旧枢軸国に対するイギリス人の報復は、陰険をきわめた。
 タイに住んでいた敗戦国の民間人は、ルンピ二公園に設けられた劣悪な衛生環境のキャンプに集められ、伝染病にさんざん苦しめられた挙句、連合軍司令部から帰国命令を受けていた。余談になるが、そんな悲惨な引揚者の群れの中には、のちに女優・“浅丘るり子”を名乗ることになる少女も含まれている。配偶者や肉親にタイ国民がいる場合に限り、タイ国籍に帰化して居残る選択肢も例外的に与えられていたが、外国人同士の内縁関係に過ぎない林の妻は、帰国する以外に道はなかった。それに、いまや中華民国という戦勝国の国民に列せられることなった若い夫の将来を慮る気持ちも働いたのだろうか。臨月を間近に控えていた最後のからゆきさんは、数奇な運命に翻弄されながらも、ただひとり、クロントイ港の桟橋を渡り第一種戦時貨物船に乗り込んだのであった。林鉦文がイギリス士官に袖の下をつかませ、その脱走を段取りした時には、キャンプに女の姿は見当たらなかった。
 もし、その時の胎児が無事に生まれていれば、ステファニーには日本に、血の遠い伯父か伯母がいることになる。ソムチャイから、“象とコメを日本の飢えた子供たちに贈る”と告げられたとき、安食堂経営という実業家の下積み時代を卒業しかけていた男の胸中にこみ上げたのは、他でもなく、そんな存在すらあやふやな我が子の幻影だった。
 やがて、ソムチャイの妹と結婚した林鉦文は、「モントリー・スントーン」とタイ名を名乗り、それから間もなく一女をもうけた。この女児は自由奔放に成長すると、風雲急を告げるインドシナ半島を舞台に、アメリカ空軍の通信士官と恋におち、ベトナム戦争が終わった翌年になって女の子を産む。現地除隊した通信士官は、アジア人の母親をもつ娘に、独特な発音のタイ名を避けて、ステファニーという自国流の名前をつけている。この命名の配慮からも伺えるように、アメリカ士官は、いずれ妻子を本国へ連れて行く気でいたのかも知れない。ところが時が経つにつれ、移り気な妻とは次第に諍いが絶ない間柄となり、ついに男は幼い娘をタイへ残したまま母国へ引き揚げていった。


 「自分の父親が死んだのに、お母さん、とうとう来なかったわね」
 深夜も営業している街道沿いの安食堂で、蝿をはらいながら、インドシナの現代史をそっくり血脈で体現している女はぼやいた。実の父の葬儀に現れない義母もなかなかのタマである。島崎は妙に感心していたが、女親とうまくいっていない娘の顔をのぞかせる妻も、不憫といえば不憫だった。
 「これ、食べないの?」
 言うが早いか、ステファニーは島崎が食べかけの焼き飯を手繰り寄せた、
 「おじいちゃんがかわいそうだわ」
 訳知り顔の島崎は、食欲旺盛な女を慰めることにした、
 「義母上は今ごろ、生きてる他人を大切になさっているんじゃないの?」
 コーラを啜り、入り婿は尊大に言った、
 「それがスントーン家の家訓だろう」
 「からかわないで。今日という今日は、ほんとうにお母さんが許せないの。あんないい加減な人の娘に生まれて、情けないったらありゃしない」
 へそ曲がり一族の末裔は、苦笑いするより他になかった、
 「見事なまでに性格が逆転するんだね、お宅のDNAは」
 「からかわないでちようだい」
 「からかいたくもなるよ。多かれ少なかれ、あんただって勘違いしているきらいがあるからな」
 「どういうこと?」
 「モントリーさんは初代だから、大陸の先祖を偲んでいる余裕がなかったんだ。ヌンさんやお袋さんのために、形振り構わず、死に物狂いでタイに生きる基盤を築かなければならなかった。おかげで家は体裁を整えて、後から生まれたあんたたちは少なくともこの国の貧乏人より恵まれた子供時代を送ることが出来たはずだ。...他人を大切にするな、とは言わないが、モントリーさん一代の信条をそっくり家訓に置き換えるのは間違いだ」
 「それが、『僑』と呼ばれる人たちに共通した気持ちなのかしら」
 「一概には言えないけれど、おれにはそんな気がするね。とにかくこれだけは覚えておくことだ。繁栄に慣れきって、自分たち子孫のために苦労した祖先をないがしろにする家は必ず滅びる。民族だって同じこと、自己犠牲を忘れた国民にも、未来はない」
 いまごろになって祖父の死を実感したのか、ステファニーは茶色い瞳を涙に濡らしていた。
 「コウの言う通りだと思う」
 やけに素直な調子で呟くと、ステファニーは皿の残りを平らげていた、
 「どうしてあなた、急にきちんとしたことが言えるようになったの?」
 稲嶺庄之助という青年の出現が島崎の深層心理に圧迫を加えはじめていた。
 「ヌンさん。あんたこそ、最近どうも様子が変だよ」
 島崎が言いかけると、腹ごしらえを済ませた黒いツーピースの女は酸味の強いマンゴーの漬物を一切れ口に放り込んで立ち上がり、深夜便のトラックに向かって歩き出した。
 「身勝手は相変わらずだが・・・」
 舌を鳴らして島崎は立ち上がり、黒い背広を掴みながら、若い店員に会計を促した。ところがどうしたことか、居合わせる店の連中は、不審な面持で客を伺うばかりで、誰も近づいてこようとはしない。深夜に喪服を来た男女がトラックで乗り付ければ、いくらへんなものを見慣れたタイ人でも、相当不気味に感じるはずである。ましてやここは、迷信深い田舎であった。最初に食事を運んできた女傑風のおかみさんを厨房に認め、
 「ここに置くよ。食い逃げじゃないからね」
 百バーツ紙幣をテーブルに載せると、不吉な幽霊の片割れも外に出た。が、すぐに歩調を停めた。トラックの陰で、ステファニーが道端にしゃがみ込んでいた。苦しそうに、食べたばかりのものを吐き出している。
 「急に気分が悪くなったの」
 妻の背中をさすりながら島崎はいった、
 「食中りかな?衛生条件もすこぶる悪そうだが、だいたい食いすぎなんだよ、あんたは」
 「だいじょうぶよ。病気じゃないから」
 「強情な人だね。次の町で旅社を探すから、今夜はそこで休みな。トラックはおれがちゃんとクロントイまで回送しておく」
 「つれない男ね。普通なら“コメの納品どころじゃない。きみをこのまま置いて行けるか”とか言うんじゃなくて?それとも薄情な男の言いつけに従うのが日本人の妻になってしまった不幸な女の宿命かしら」
 すこし調子を取り戻したステファニーは諦めたように言った、
 「忘れてた。思いやりを要求するのは“条約違反”だったわね」
 島崎はステファニーの細い身体を抱きかかえ、トラックに向かった、
 「ケースバイケースでいいさ。ひとまず、ゼネラルホスピタルへ行こうか?」
 「病院も宿屋も必要ないわ。このまま真っ直ぐ、クルンテープへ走って」
 この世を去る者がいれば、新しく生まれて来る者だっている。しかしこれだけ兆候の数々を見せつけられても島崎は、ひとつの生命がステファニーの胎内に宿っているなどとは、夢想だにしなかった。






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