* この物語はフィクションであり、登場する人物、企業、
団体、一部政府機関の名称は架空のものです(著者)。




第十八話




 備中興産タイランドでタロが働きはじめて三週間が経っていた。受付嬢のティウの報告によると、遅刻もせず、サボりもせず、思いのほか良好なな勤務態度だという。本来いまのような荒っぽい調査活動はタロのアルバイトに回していい仕事だったが、どんな目論見があるにせよ、猫をかぶって生き始めた男を、わざわざ渡世へ引き戻すわけにもいかない。
プラトゥナムの明るい路上に出た島崎は、走ってきたタクシーを停めた、
 「スクムビット。プロンポンのあたり」
 日本居酒屋『食いの国』は、スクムビット通りに面したビルの二階にあった。有佳の出現以来しばらく足が遠ざかっていたけれど、この店は酒を飲まない島崎にとって馴染みの定食屋だった。マッサージ屋の客引きを兼業とする辻待ちの雲助を適当にあしらいながら、古い雑居ビルの階段をあがった。
 「おい、島ちゃんだぞ」
 カウンターでビールを呷っていた初老の不動産屋が、隣の男を小突いた。
 「あ。生きてる、生きてる」
 中年のレンタルビデオ屋が振り返り、訝しげに言う、
 「どういうつもりだよ、その黒ずくめのファッションは?おおかたアメリカの薄汚い暴力映画に影響を受けたんだろう?」
 明るい宵の景色から隔絶された暖簾の奥は、人影が疎らだった。カウンターに陣取り、島崎は嫌味を返した、
 「非生産的な人種に感応する言霊は持ち合わせてないよ」
 なぜか捻り鉢巻をしたタイ人の店員が焼き鳥を焼きながら愛想よく微笑んだ。
 「まだお天道さんは西の空にましますぞ。つまらないくだを巻くには早すぎるんじゃないのかね。企業駐在員のみなさんは、この時分、真面目に働いていらっしゃるんだからさ」
 人格者面した不動産屋が仲裁にはいった、
 「まあまあ、日本のテレビ番組を著作料も払わないで貸し出ししているようないかさま師には世間一般の道徳なんか通じないって」
 「けっ、何を言いやがる。内地から来たばかりの不案内な奴らを手当たり次第食い物にしている爬虫類ジジイに説教されたくないよ。だいたいおれが来たらさ、この親父、開店前だって言うのに軒先でろくろ首みたいな間抜け面を晒して暖簾が出るのを
待ってやがんだ。あさましいねぇ」
 「なんでビデオ屋さんも来ているのよ?そんな時間にさ」
 同意を求められ、島崎は鷹揚にせせら笑った、
 「まったくおおせの通り。目くそ鼻くそを笑う、とはこのことだ。ここはクズ三羽烏、仲良く勤労者の爪の垢を煎じて飲みますか」
 「うるせえな。おれはアジアブックスへ洋書を見に行くところだったんだぞ。いいか、日本語の本じゃないぞ。洋書はイングリッシュで書かれていて・・・」
 ビデオ屋が鼻息荒く英文学の知識を一くさりしゃべろうとする。
 「“洋物ポルノ”ならシロムの路地裏へ探しに行け」
 クズ三羽烏に数えられ、割ってはいる仏頂面の初老男は笑っていなかった、
 「よく聞けよ、小僧ども。日系企業の奴らが偉いと思ったら大間違いだぞ。会社の看板がなけりゃ、一人前の顔もできないんだぞ。引き換え、そりゃクズには違いなかろうが、ワシの場合は自力で生きておる」
 レンタルビデオ屋は首を傾げた、
 「いや、俺らと違って、駐在員の連中は何も好きでバンコクに来ているわけじゃない。だから、一概に比較するのは酷じゃないのか」
 「それを言ったら昔の兵隊さんはどうなる?厭でも南方に来て、ちゃんと戦争しているんだぞ。任地の選り好みなど、甘え以外の何物でもない」
 酔いが回った不動産屋の言葉を聞きながら、ここいら辺の任地で好き放題に暴れていた自分の祖父は幸福だったのかも知れない、と薄笑いをうかべる島崎は思った。
 「大きな口を叩くんじゃないよ、おっさん。所詮はおれたちだって、日本という国の金看板があればこそ、人間扱いされているようなもんだ。おまけに、おれたちの商売はどれも日系企業の駐在員さんがあって、はじめて成り立つものじゃないか。違うか?」
 不動産屋と企業ゴロに挟まれるレンタルビデオ屋は、索然と総括した。
 「情け無いよな。わざわざ異国に来てまで、同国人の懐に寄り縋って糊口を凌いでいるなんてさ」
 島崎の淡白なコメントに、在タイ二十年の不動産屋がにわかにしんみり頷いた、
 「タコは手前の足を食って自滅する。どんなに粋がったところで、それが我々日本人の限界かも知れないぞ」
 三人はバツの悪い面持で、それぞれ飲み物を啜った。藍染めの前掛けを結わいながら、『食いの国』の店主が奥の厨房から現れた。髪を短く刈り揃えた店主はまだ若かった。
 「あれ、島崎の旦那、しばらく見ませんでしたね。てっきり、日本へ帰ったのかと思ってた」
 「そんなつれない挨拶があるか。まだ逃げるわけにはいかないよ」
 平成五年にタイへ流れて来た店主は、島崎にとって、言うなれば在留邦人の同期生である。かくべつ親しい間柄でもなかったが、流動的な同国人社会で、その健在ぶりは、漠然とした励みになった。
 「鳥のからあげ定食、二人前おくれ」
 「はあ?」
 狂人を見る面差しで、店主とふたりの客が島崎の顔を覗き込んだ、
 「いや、いっぺんに食べるわけじゃない。一食は帰る時、弁当に包んでください」
 「お弁当のほうは味噌汁がつきませんぜ。それともタイ人みたいにビニール袋で持っていく?」
 「好きにして。おれが食べるわけじゃないから」
 弁当は、チャトチャクにいる有佳の分だった。店主ははたとした面持で島崎を見た、
 「ねえ。余計なことを言うみたいだけれど、旦那はお待ち合わせじゃないの?お座敷のお客さんと」
 「おっといけねえ、忘れてた」
 衝立で仕切られた奥の和室に、もうひとり、先客がいた。
 「島崎さんですか。はじめまして」
 大手新聞社の名刺を差し出すワイシャツ姿の相手は、サイアム新報の鳥越の知人だった。
 「友永です」
 年齢は四十歳前後だろうか。島崎から名刺を受け取ると、友永と名乗った記者は言った、
 「鳥越くんから島崎さんのことを聞きましてね、昨日、成田から飛んできました」
 「そうでしたか。自分はてっきりバンコク支局の人かと思って、こんなわかりにくい店を指定しちゃったんです。悪しからず」
 ところが、新聞記者は余裕たっぷりに答えた、
 「たしかにこのお店は、二階だし、観光客や普通の出張者が立ち寄るにはちょっと勇気が要りますね。しかし、私は三年前までニューデリー勤務でしたから、バンコクには、ちょくちょく日本の食材を買いに来ていました。土地鑑ならすこしはあるし、怪しげな店構えにも免疫がありますよ」
 「なるほど、それは心強い」
 運ばれてきた定食をかき込み、島崎は相手の目を観察しながら続けた、
 「それと、内地の方なら、妙な圧力に記事を握り潰される前に、事実を事実として公表してくれそうな気がします」
 「ご期待に添えると嬉しいのですが」
 記者の瞳孔に、動じた様子はなかった。さしあたって、味方と見なしていい。
 「バンコクの日本領事館による査証の不正発給か・・・」
 タバコを灰皿に擦りつけて、新聞記者は呟いた、
 「ふしぎですね。どうしてこんなスキャンダルが今までずっと蚊帳の外に置かれてきたのか、さっぱり解りません。誰だって、ちょっと考えてみれば、事実無根説を証明するほうが難しいでしょうに」
 会話は、いつしか本題に滑り込んでいる。援軍記者のとぼけた調子には、わかりきった説明を告発プロジェクトの主から引き出そうとする意図がこめられていた。
 「報道しようという動きはこれまでにも幾度かあったんです。しかしその度に、この案件を追いかけたジャーナリストは、“高次の政治的判断”ってやつに努力を徒労に終わらせなければならなかったのです」
 「霞ヶ関の不祥事は、十にひとつも紙面に載せることができれば上出来ですよ。一歩扱いを間違えると国家の機能が麻痺してしまいますからね。しかし在外公館のことになると、事情が変わってくる。多くの読み手にとって、まったく関わりのない土地での出来事だから、うけないのです。それで闇から闇へと処理されていくのが通例でした。とは言うものの、切り口を“ジャパゆきさんの足取り”というテーマに絞っていけば商業紙といえども、報道を実現する希望が持てなくもありません。セックスが絡んでいるから読者のストレートな好奇心を誘えるでしょう。シリーズで連載していけば、よしんば途中でデスクからストップがかかっても、語るに落ちたり、と圧力の介入を読者に暗示することができます。それが、私の戦術ですよ・・・ははは、こんなボクでは、ちょっと頼りないかな?」
 人の噂も七十五日という。一旦記事に引き込まれた読者も、連載が打ち切られたら、すぐに外国で起きている日本人の醜聞など忘れてしまうはずである。だが、それでもゼロよりかはいい。鳥越が段取りしてくれた共同戦線を、島崎は受け入れようと思った。

 平成十年現在、日本国内には六万二千人のタイ人が住んでいる。もちろん正規の滞在資格を取得している者も少なくないが、過半数は、上陸期限を過ぎても退去しない、とか、違法な入国手段によって日本へ潜り込んだとされる、いわゆる不法滞在者である。そんな不法滞在者の内訳で、最も大きな割合を占めているのが、言わずと知れたジャパゆきさんだった。
 そもそもジャパゆきさんと総称される、アジア系外国人女性の歴史は、昭和五十四年、東京新宿にあらわれた、「三人の“ミキ”」という台湾人ママの伝説をもって嚆矢とする。同じ源氏名を用いていた三人のママは、それぞれ好みの服の色から“赤ミキ”、“青ミキ”、“白ミキ”と区別されていた。果たしておのおの成功をおさめ、莫大な日本円によって郷里に錦を飾った。台湾に建てられた彼女たちの豪邸は、いずれも宮殿を髣髴させる豪奢さだ。
 そんなサクセスストーリーにあやかって、しばらく日本の水商売の世界は台湾女の天下となったわけだが、やがて本国の金準備高が世界最高となり、経済が安定すると、今度は韓国女が大挙して押し寄せてくるようになった。在日僑胞の手蔓を存分に活用して入国した女たちは、ホステス主体の台湾女よりも営業領域を広げ、お客と寝ることも自分たちのメニューに加えはじめた。しかし、韓国はまもなくオリンピックが決定し、女の輸出は尻すぼみになる。ここで東南アジアの女たちに、歌舞伎町の門が開かれた。一番乗りは、フィリピーナだった。南の島国からやって来た底抜けに明るい女たちは、たちまち日本のあらゆる繁華街で、三十二ビートの旋風を巻き起こした。日本語がつたなくても、彼女たちは持前の英語力で、男達を本格的な異国情緒に誘い込み、骨抜きにする。だが、カトリック教国は、無秩序な淫売の流出に自ら歯止めをかけた。フィリピン政府は、出稼ぎ自体は止むを得ないと受け止めて、女たちにダンスや歌の特訓を行いながら、日本政府と交渉し、国家認定のタレント証明書と言うべき“ブルーカード”の所持者に限って半年単位の就労査証発給の協定をとりつけた。ブルーカード所持者は一年の半分を確実に日本で働く保証を得る代わりに、連帯責任で統制されたグループを組み、規律正しく「巡業」を行わなければならない。もちろん売春は御法度である。
 「売りセン」は慢性的な人手不足に陥った。昭和の末期になって、健全化を取り繕うフィリピンの穴を埋めるべく、いよいよ世界屈指の売春大国・タイが浮上した。日本の暴力団と、タイの人送りエージェントの巧みな連携プレーによって、最初は定石通りの「無期限観光」が行われ、その道が封じられると、「偽りの企業研修」や「偽装結婚」が流行り、これらも廃ってくると、もうすこし高等な戦術として、「トランジット上陸」という苦肉の策が用いられるようになった。
 トランジット上陸というのは、二十四時間空港ではない成田の不便さを逆手に取った入国方法である。各論になるが、一例を挙げておこう。
 アメリカのNW航空は成田を前進基地として、東アジアや太平洋方面に毎日一便のフライトをいくつか就航させている。バンコクやサイパン島との往復もまた然りだった。さて、バンコクから飛んで来るNW便の到着は十四時三十分前後だが、サイパン島へ向かう便の離陸は十一時台である。NW社の飛行機で、バンコクからサイパンへ向かおうとする旅客は、自ずと日本で一晩過ごさなくてはならなくなる。さりとて成田空港は夜になると閉鎖されるし、ターミナルの中には乗り継ぎ客のための宿泊施設もない。翌朝十一時にサイパンへ向かう触込みの乗客は、国際航空協定で定められた手続きに則り、全行程のチケットと、バンコクの旅行代理店で予約した成田近郊のホテルのクーポン券を提示しつつ、入管のAカウンターで、“七十二時間以内のビザ無し上陸”を申請する。たとえ疑わしい旅客であっても、書類とストーリーによほどの不備が認められない限り、成田の係官は、“通りすがり”の相手を、事実上の強制送還を意味する上陸拒否であしらうわけにもいかない。パスポートに好ましいスタンプが捺されたらしめたもの、上陸者はダウンタウンの入管事務所に出頭するその日まで、無期限のトランジット生活にはいるわけである。もっとも、この遣り口の寿命も長くはなかった。
 毎回違う女を連れてサイパンに行く日本人の馬たちが、係官にしっかり顔を覚えられ、Aカウンターから名前を呼ばわれるようになってしまったのだから、終わりである。問答無用の強制送還。かくして、夕方、成田からドンムアンへ向かうNWのキャビンには、毎日必ずと言ってよいほど、居直りきったタイ女と、しょぼくれる日本男児の組み合わせが
見受けられるようになったのである。
 だが、黄金の国を目指す者と、これを水際で防ごうとする者の攻防戦は終わらなかった。偽造査証が登場し、真性査証つきの他人のパスポートを入手して、写真を貼り替え渡航を企てる者が現れ、ついには“くぐり”という玉砕戦法で繰り出す突撃隊まで出現した。

 「それでも、正真正銘の観光査証で入国している女も大勢いますよ」
 しばらく島崎が語る背景に耳を傾けていた新聞記者はいった、
 「じつは今日、パスポートの合冊について問い合わせるフリをして、アソク通りの領事館を覗いて来たんですよ」
 ちょうど島崎が地下のボイラー室でエージェントの口を割らせていた時分のことだ。
 「ほう。それで如何でした?」
 「一見して、よくわかりました。きちんとした身だしなみのタイ人ビジネスマンが査証をもらえず文句を言っている傍らで、見るからにケバい娘がほくほく顔で、ステッカータイプの査証が貼られた自分のパスポートを覗いているんですからね。あからさまに、裏がある」
 虚脱したように微笑み、島崎は訊いた、
 「失礼ですが、タイ語は?」
 「ええ。ホテルに連れ込んだ女と話題に事欠かない程度なら、嗜んでいます」
 「それは素晴らしい。しかし今夜は悩ましい男の声を聴いてください」
 ディパックにしまってあったカセットを引きずり出し、島崎は先刻収録したばかりのテープを再生した。『食いの国』は、次第に賑わいを見せ始めていた。衝立の裏側を気にしながら、テープのやり取りに聞き入る記者は声をひそめた、
 「いいのかな、こんな生々しい会話、イアホーンを使わないで」
 “あとはくぐりでしのいでいる...”、タイ人の声が途切れて、再生は終わった。
 「これくらいの現地語が理解できる邦人なら誰でも知っていることです、我々の話しだって密談のうちには入りませんよ」
 カルカッタ勤務の経験者は、諦めきった笑顔をのぞかせ、訊いた、
 「領事館員が査証の不正発給に手を染め始めたのは、何時頃なんですか?」
 「十年くらい前になるかな」
 「でも、館員の任期は二年くらいでしょう?」
 「代々受け継がれているんです」
 島崎は“ゴルフ場の罠”という話しを持ち出した。
 十年前のある日、バンコク郊外のゴルフ場で、コンペを控えた館員のひとりが練習がてらコースに出た。しかし、一組のプレーヤーとキャディがホールを占有するわけにはいかない。クラブハウスの支配人が紹介してくれたタイ人の紳士とプレーすることになった。
 警察庁から外務省へ出向しているこの二等書記官は、教養が深く、穏やかな笑顔を絶やさないタイ人と、プレーのあとに祝杯を上げるほど打ち解けた。それでつい、身分を明かしてしまった。
 半月ほど経った頃、恐縮しきった面持で、件の紳士がひとりの大学生を連れて、アソク通りを訪れた。紳士の甥と紹介された青年は、礼儀正しく合掌した。大学の建築学部に学んでいるという若者は、その頃日本で開催されていた都市開発関連のイベントを見学したいと申し出た。書類や身元に偽りは無い。領事館員は、正規の観光査証を、公明正大な見解に基づいて発給した。まもなく、青年は予定通りに帰国して、叔父は甥とともに感謝の意をあらわすべく、館員をゴルフに招待した。“日本は素晴らしかった!”と連呼する青年。紳士も甥の成長を喜び、館員に志しを受け取って欲しい、と言い出した。
 「いやぁ、こんなものを受け取るわけには」
 日本人の官吏は、プレゼント好きなタイ国民の性質を知ってはいたけれど、さすがに現金となると躊躇した。ところがプレゼントを拒否されるとプライドが高くてしつこいタイ人は一層ムキになる、
 「まあ、いいからいいから、ワタシタチ、友達ネ!」
 と言いながら、五万バーツの謝礼が入った封筒をズボンのポケットへ捻り込んだ。誰も観ていないことだし、ここは相手の気持ちを汲んでおこう、と、館員は一種の仏心から、ポケットの異物感を無視することにした。
 ところが事態はそれで終わらなかったのである。
 ある金曜日の午後、知らないタイ人から領事館に電話があり、“アナタ、五万バーツでワタシにもビザを売る。売らなかったらわかってるね?”と切り出された。脅迫だった。すべてを仕組んだ策士は、あの大人しいゴルフ場の支配人だったのだ。
 やられた!と思ったが後の祭り。館員は、善良な雰囲気の紳士と日本にオーバーステイせずに几帳面な帰国をしてみせた甥役の青年に油断していたのであった。
 仕方なく、電話のタイ人に便宜を計ってみた。するときちんと五万バーツが支払われた。
 続いて、男が連れて来た六人の若い娘にも査証を発給した。紫色の五百バーツ紙幣百枚の束が六つ、ずっしりと手渡された。この瞬間、カネは魔物となって憑依した。館員は次第に商売へのめり込むようになり、やがて任期満了を迎えると、同じ官庁から出向して来る後任者へ自ら開拓した事業を引き継がせた。こうして査証の不正発給は歴代の領事館員によって連綿とつづくようになった。

 「しかしね、島崎さん」
 記者はビールを呷った、
 「惜しげもなくそんな特ダネをおれに話しちゃっていいの?バンコクに住んでいる日本人なら誰でも知っている、なんて言っているけどさ、いま初めて聞いたよ。それって、本当はずいぶん危ない思いをして集めた情報でしょう?」
 いささか悪酔いしている様子だった。
 「噂によると島崎さんはジャーナリストは表の顔で・・・」
 この街で久しく生き長らえているわけだから、鳥越だってなかなかの食わせ者である。使用上の注意とばかりに、外注記者の日頃の行状を話していたらしい。
 「カネのためにやっているわけじゃないスよ」
 「じゃあ、何のため?」
 言われてみると、それは島崎自身にもよくわかっていなかった。
割り勘で会計を済ませると、店主は帳場の片隅に用意してあった折り詰めをプラスチックバッグに入れながら咳払いした、
 「はい、唐揚げ弁当。味噌汁つき」
 汁物は予告通りビニール袋に入れられていた。
 「郷に入らば郷に従う。でも、やっぱりこの味噌汁、邪魔くさいな」
 ぶつぶつ言いながら島崎は新聞記者と階段を降り、『食いの国』を出国した。
 「今宵は真っ直ぐホテルへご帰投あそばされますか?」
 「とんでもない。これからどこかで夜もすがらの相方を探さなければなりません」
 査証の不正発給と売春の是非は、もちろん別枠で考えなければならない。バンコクへ来た以上、遊びのひとつもしておきたいと思うのは健康な男の証である。生業に強いられた良識にあっかんべえする記者の態度は、島崎にとって、大いに気に入るところだった、
 「それだったら、この先のソーイを入って少し行ったところにホテルがありましてね、この時間帯なら、コーヒーショップが“チキン・ファーム”に模様替えしていますよ。いつも数十羽の雌鶏が群がっているのです」
 「ワオっ、島崎さんもよく行くの?」
 「『食いの国』でメシを食うと、たいがい立ち寄るコースですな。もっともコォヒィを注文して、姐ちゃんをからかうだけだけですが」
 「“ヒィをくれっ!”と大声で叫ぶ、って寸法ね?」
 日本人は珈琲がほしいとき、この国では、“カフェ”と発音するのが無難である。新聞記者は、日本式発音による“コォヒィ”という言葉がもつ卑猥な意味を知っていた。ヒィとは、女性器を指すタイ語の中で、もっとも下品な俗称である。
 「ちょうどよかった。そのアナ場、教えてよ。通訳の真似なんか、させたりしないからさ」
 下の欲求と言うより、無邪気な好奇心から記者は道案内を所望している様子だったが、いずれにしてもさわやかな助平には好感がもてる。島崎に、ためらう理由はなかった。
 「うん。それでは、ちょっくら覗いてみましょうか」
 「そうと決まったら・・・あ、いけねえ。ホテルに支局の連中が尋ねてくるといけないから釘を刺しておきますわい。ちょっと、失礼」
 にわか風俗記者に豹変した男は電話ボックスに駆け込んだ。島崎の携帯電話を借りようとしないのは、双方の電話に通話履歴を残したくないという配慮だろう。酔っているようで、防諜措置は怠らない。なかなかの曲者ぶりである。何と言い訳しているのやら、ボックスの中でしきりに頭を掻く記者の姿に、島崎はつい相好を崩していた。
 「おまたせ。NGOの人と会っていることにしたよ。でも、まんざら嘘でもないでしょう。大事なのは名目でなく、本質だから」
 「富士山麓の開墾や駿河湾の海難事故の犠牲者を弔っていた清水次郎長は言ってみればNGOのはしりだ。さしずめおれはヤクザってわけですか」
 「そうやって上げ足を取る・・・相当ひねくれているなぁ、この人は」
 「ああ、やだやだ。こんな性格だからどんどん世間が狭くなる」
 「気持ちは痛いほどよくわかる。僕にとっても他人事じゃない」
 敷石がめくれた陥没箇所や盛り上がった下水道の蓋を避けながら、凹凸が目白押しの歩道をふたりのへそ曲がりは肩を並べて歩いた。
 「そう言えば、インドをベースにしていたころ、男版ジャパゆきクンの流れも取材したこともあるよ」
 どこの新聞社でも、ニューデリーに置かれた支局の守備範囲は、インドと近隣諸国に及んでいる。
 「ほう。アレをご覧になりましたか。面白かったでしょう」
 島崎の相槌に、記者は苦笑いを浮かべた、
 「ダッカやカラチ、イスラマバードの中心街に行ってみると普通の日本人なら首を傾げたくなるのが、国力のわりに異常に多い旅行代理店の数じゃなかろうか。街のあちらこちらで赤貧ぶりをさんざん見せ付けられた先進国の人間は、誰もが本心では、“オイオイ、諸君はまだ海外旅行どころじゃないだろう”って感じるはずだよ」
 答えを先読みして、島崎は皮肉たっぷりに言った、
 「街中の安食堂を“ホテル・ビジネス”と呼ぶおおらかな言語感覚の人たちだ。“トラベルエージェント”が、マンパワー業者の別称であっても怪しむにはあたりますまい」
 一口にインド亜大陸の出稼ぎ労働者と言っても、等級がある。最も賢い高学歴者は合法的に査証を取ってアメリカやイギリスに渡ろうとするし、最下層の、母国文字すら満足に読み書きできない連中もまた、マンパワー業者から斡旋されたマレーシアのゴム園へ労働許可証を携えて働きに行く。不法就労者と呼ばれる出稼ぎ組は、おしなべて真ん中の知的階層に属する者たちである。さらに分類すれば、中の上にランキングされている者は、イギリス以外のヨーロッパ諸国やカナダ、オセアニア、そして日本へベクトルを向け、中の下は韓国や台湾を目的地に据える傾向がある。
 あたりの景色を眺めて、新聞記者は結んだ、
 「彼らにとっても、バンコクは世界最大の中継基地だ」
 ここ十年ほどで、日本人バックパッカーの姿が目立って増えた王宮にほど近い安宿街・カオサン通りも、一街区裏手のパワラット市場まで足を延ばせば、そこはもう北東アジアに仕事を求める南西アジア人の男たちの世界だった。安上がりな旅行を愉しむ日本人の若者がひとりで寝泊りする三畳ほどの部屋に、彼等は五、六人で雑魚寝して、ジャパニーズドリームのきっかけを掴む”突撃の日”を待つのである。
 「アレを見ていると、世の中、何が善で何が悪なのか、いよいよもって判らなくなった」
 「右に同じ」
 島崎が与太をとばしかけた矢先、おもむろに、頭上の闇で金属が触れ合い、引き摺られるような音がした。傍らの壁は、ビルディングの建築現場である。柱しか出来ていない四階部分の空洞から、小型クレーンのワイヤーに誘導されるH鋼の束がゆっくり外へはみ出してきた。
 「あぶねえっ!」
 咄嗟に友永を安全な歩道の隅へ突き飛ばし、島崎は路上駐車してあったメルセデスの蔭に飛び込んだ。間髪を置かず、十本近いH鋼がばらばらと落下して来た。ひどい音が折り重なって埃が舞い、断続的な振動があたりの悲鳴を誘発した。
 味噌汁を入れた袋が乾ききった路面でひしゃげ、具が飛び散る。不運なメルセデスはボンネットを修理不能なまでに潰されたが、島崎の身体は事なきを得た。が、すぐさま飛散した味噌汁のあたりへ駈け寄り、路上で仰向けに横たわった。うまい具合に中空を横切るH鋼の一本が、呼吸を停める島崎の顔を半分隠していた。
 目を見開いて、上の様子を探った。H鋼の転落位置に、奥から現れたベースボールキャップを被る人影が佇んだ。若い男、という点だけ、識別できた。肩で深呼吸する影は、しばし月光に照らされる事故現場の惨状を眺めると、数歩後ずさりして、踵を転じた。夜だから、どす黒く路上の染みになった味噌汁は、飛び散った脳漿や脳髄に見えたはずである。
 業務上過失致死という刑事罰がない国なので、これが本物の事故なら作業員は野次馬のひとりとしてまろび出てくるに違いない。だが、果たしてキャップの男は階下に現れなかった。
 ___ 完全に的にあげられたね、こりゃ ___
 顔までは確認できなかったけれど、殺人未遂犯の挙動には、プロらしからぬせわしなさが目立った。第一、狙う相手を建設資材の下敷きにするなど、大仕掛けなだけで精度は低い。マンガの読みすぎである。それでも等閑な戦果確認で満足した刺客は一目散に遁走したようだ。
 死体はむくりと身を起こし、怖い物見たさからわらわらと集まってきた野次馬のどよめきを無視して、歩道で尻餅をつく新聞記者に釈明した、
 「近ごろのバンコクは、よく頭の上からいろんなものが降って来るんです。気になさらんで下さい」


 居間で犬の毛並み手入れしていた有佳は、差し出された発泡スチロールの容器を開いて、しばし首を傾げた、
 「道で転んだの?」
 「余計なことは詮索しなくてよろしい。命がけで守ってきた唐揚げ弁当なんだから心して食いなさい。味噌汁はないよ」
 コーヒーをすこし飲み過ぎていた島崎は、冷蔵庫から牛乳のボトルを取り出し、喇叭飲みした。
 あやうく巻き添えを喰らって一命を落しかけた記者は、まだ怪しいホテルのコーヒーショップにたむろする女たちとはしゃいでいるに違いない。数々のテロルの現場や暴動を取材した経験を持つジャーナリストは、あの程度のショックなど、すぐにけろりと忘れてしまうのだろう。つくずく愉快な男だった。閉じられた妻の寝室の扉を省みて島崎は訊いた、
 「ところでヌンさんは?」
 思い出したようにうら若い居候は答えた、
 「いっぺん帰って来たけれど、旅行鞄を持ってすぐ出かけたわ」
 「こんな時期に旅行?ふむ、男ができたのかな」
 暢気な男を窘めるように、少女は真顔で言い足した、
 「ナコンサワンってところへ行くとか、言っていたよ」
 「実家に何の用だろう?若い妾を連れ込んだ亭主の不実が許せない、って言うのなら、おれを叩き出せば済むことだ。何も自分から出て行く筋合いじゃない」
 「そんな上っ調子な雰囲気には見えなかったよ。もっと思いつめた様子だったわ」
 素っ気ない口調が大人の女の風格をしのばせていた。
 島崎はテーブルの隅に置かれていた真新しいヘアスプレーの缶を拾い上げた。事実、有佳は小学生にしては、ずいぶんませている。だが、島崎の興味を惹いたのは、スプレーだった。表示されている成分には、フロンガスの名がみとめられた。二十年以上も昔に製造が打ち切られた代物である。もちろん有佳のものである。
 「これは使ってはいけないぞ。後年判ったことだが、このスプレーには、フロンガスという、オゾン層を破壊し、人類を滅亡させるおそろしい成分が含まれているのだ」
 「ふろん、ガス?」
 きょとんとした面持で、有佳は耳慣れない化学物質の名前を反芻した、
 「って、危ないんだ・・・」
 細かな時代感覚の補填には、まだまだ時間がかかりそうだった。
 「平成の日本人は地球に優しくしなければ人格を否定されてしまうのだ。まあ、もっとも癌にかかって困るのは人類であって、創世記のめちゃくちゃな幼年期を送ってきた地球さまにおかれては紫外線をたっぷり浴びたところで痛くも痒くもないはずなんだが、エコロジストというのは“自分に優しい地球環境を維持しませう”とは決して言わないもんだ。頓珍漢な自己欺瞞もまた、平成日本でまともな市民生活を謳歌するために必要不可欠な要諦である。よく覚えておくがよいぞ」
 天邪鬼の説法などこの際どうでもよい。没収したヘアスプレーは、有佳の来歴を立証する物的証拠のひとつになるだろう。遅い夕食を摂りながら、やぶから棒に有佳がいった、
 「ねえ、康くん。日本ではよく食べるけど、タイでは食べられない魚ってなに?」
 島崎にノミ取りのブラシをかけられていたネコが、ざっくり毛を毟られ、けたましい悲鳴をあげて弁護士の書斎へ逃げ込んだ。駄洒落のクイズだった。ささやかな驚愕を隠そうとせず、男は疑心暗鬼の面持で答えた、
 「金目鯛(キンメダイ)」
 「あたり」
 島崎の声は無感動だった。ちなみに、“キン”は「食べる」、“メ・ダイ”は「(否定)できる」。“キンメダイ”は、日常タイ人が口にしている、食べちゃいけない、という常套句である。タイに住み始めて五年目の邦人は、しばし自尊心を見失っていた、
 「このどうしょもない答えに気づくまでおれは半年かかったもんだ」
 昼間の有佳は、通いの家政婦を先生に仕立てて、タイ語の手習いをはじめていたらしい。学習を始めてわずか数週間だったが、すでに街中で道を尋ねたり、買い物ができる程度の会話能力を身につけているようだった。有佳には屈託がない。覚えたての語彙を思いつくままに披露する、
 「お弁当は“ピントー”なんでしょ?日本語みたいね。キン、ピントー、ダイカァ」
 発音もなかなかきれいだった。一般にも語学適正は女のほうが男より秀でている、と言われているし、ましてや若くて良質な脳細胞は一旦取り込んだ情報をふたたびとり逃がすことがない。長いあいだタイ語に接していながら、いまだにややこしい発声パターンで苦労しでいる島崎にとって、在タイ一ヶ月余りに過ぎない有佳の驚異的な上達ぶりは、舌を巻いて見守るよりほかになかった。タイ語と併行して井坂の娘が残していった雑誌を教材に新しい日本語を学んでいる有佳は、遠からず、蟹に似た失業者のタロをプー太郎と揶揄した島崎の孤独なジョークを理解するであろう。
 部屋の電話が鳴った。受話器を引っ手繰り、有佳の耳が備え始めた批評力を意識する島崎は、ことさら尊大なタ語で応対した、
 「はろう。どなたですかな?」
 『アピチャイです。ルンピ二合同事務所の所長でございます』
 「いつもお世話さんでございやす。シマザキでございます」
 無駄口を控えて所長は用件に移った、
 『奥さんから連絡があったらお伝えくださいませ。長引くようなら誰かに代行を頼んであげるから仕事のほうは心配しなくていい、と』
 教養あるタイ男の敬語はまどろっこしい、と、いつも思う。島崎は自分の質問を急いだ、
 「すみません。不在にしていたもので、事情がさっぱり飲み込めません。家内はどうしてナコンサワンへ行ったのでしょう」
 『モントリー・スントーンさんが心臓発作で倒れたのでございます』
 「はあ...」
 モントリー精米所の会長は、現役のビジネスマンだが、すでに九十近い高齢であった。幼い頃に両親が離婚しているステファニーは、大のおじいちゃん子だ。元を辿れば、日本の食糧管理庁から不当に支払われた屑米の代金かも知れないが、このコンドミニアムの購入資金を駆け出しの弁護士に与えたのもモントリーである。
 「それで、容態はどうなんでしょうか?」
 『それを知るために、奥さんはナコンサワンへ行ったのです』
 ソムチャイ・ポラカンが物故して早や二年。そしていま、またひとり歴史の生き証人が人生の土壇場に立たされている。島崎にとってモントリーは、連れ合いの祖父、査証の保証人、あるいはコメ騒動の当事者という近視眼的な尺度とは別に、もっと重要な意義を持つ人物だった。電話を切ってタバコをくわえた。
 「部屋の中でタバコを吸わないで」
 有佳がぴしゃりと言った。
 「ヌンがいないんだから、構うことないじゃないか」
 「あたしもきらいなの、タバコのにおいって」
 思いがけない意思表示に面食らって、島崎はぽかんと口をあけた。
 「いっそ、禁煙しようよ。テレビでも“タバコは健康にとって危険です”って言ってるじゃない」
 タイは国を挙げての禁煙キャンペーンを展開していた。有佳が直訳したキャッチフレーズの語彙は、正確だった。ヒアリング能力も着実に身につけているらしい。ほのかにムスクの匂いが鼻をつく。言うに事欠いて、ベランダのドアに手をかける愛煙家は舌を出した、
 「だったら、おれもはっきり言っておく。ムスクの匂いは大嫌いだ」
 島崎は子供の頃からムスクの匂いが好きになれなかった。
 取り上げたヘアスプレーの缶をみつめて、ようやくその理由がわかった。ムスクは、自分より背が高く、大人びた同級生の女の子が愛用していたのである。嗅覚に刻み付けられた劣等感の象徴だった。そしてその酸味をふくんだ甘い香りは、件の少女の失踪という忌まわしい記憶によって完結している。だが、いまになってみると、ムスクの印象は、安堵に変わっていた。ベランダに立つと、隣家のホタル族と目線が合った。
 「ハイ、先生」
 「おお、チマさん」
 同病相憐れむがごとき、愛煙家同士の友好的な挨拶が二十三階のベランダのあいだで交わされた。隣のベランダで旨そうにタバコを吸う赤銅色の顔をした五十男は、ルンピ二公園の近くにある私立学校の校長先生だった。
 「...久しく顔を見なかったね。日本へ帰っていたの?」
 しばらく顔を見せないでいると本国へ帰ったことにされてしまうのも、この街で生きる外国人の宿命だった。ふと、井坂の言葉を思い出し、出し抜けに島崎は言った、
 「ちょうどよかった、先生。いま姪が日本から遊びに来ているんだけれど、普通の旅行じゃ味気ない。私は思うに、この機会にぜひタイの学校へ"語学留学"させてあげたいのです」
 きょとんとした面持ちで、若い頃英国へ教育学を修めにいった教育家は問い返した、
 「どんな意味ですかな?語学留学というのは?」
 「最近の日本国内で流行っているのです。何を学んだらいいのか分からない若者が、とりあえず外国へ行って、その国の言葉だけ覚えて帰国する。まあその、ありていに言って、ポリシーのないプチブル趣味でございやすがね、格好よく粉飾して留学と呼んでいます。ですから、私のお願いにも深い意味はありません」
 「なるほど。日本人はどこの国へも自由に行けますからね。若い人も物見遊山には飽きたのでしょう」
 およそ外国人には理解されにくい日本独自の慣習を、校長先生は的確に把握してくれた。不法就労であろうと、語学留学であろうと、どちらも主観上、自分の国に欠けている物を埋め合わせようとする愛国的行為に変わりがない。自虐めいた調子で同国人を弁護した島崎は遠慮せず、つけ加えた。
 「タイ語も少し解るようになりましたが、願わくは、英語で授業しているクラスへ聴講生扱いで混ぜてくれませんかね?」
 校長はしばらく考えて、顔をほころばせた、
 「生徒たちも歓迎するだろう。インターナショナルスクールに通っているファラン(欧米人)の子とは交流の機会も多いけれど、日本人学校の子とは接触するチャンスがめったにないからな。よろしい、明日の朝、あんたの姪をうちに連れて来なさい。家内の車に乗せて行くから」
 ちなみに、彼の上司にあたる理事長はその細君である。タイはとことんコネ社会だった。
 「いやあ、流石に先生は偉大な同志だ。タバコ、万歳!」
 タバコのせいで追い出しをくらった島崎は、タバコの導きで有佳を追い出す段取りを掴んだ。
 「タバコに勝利(チャイヨー)を!...では、おやすみ、同志よ」 
 握り拳を精一杯靄がかった星空に掲げ、恐妻家の教育者は背中を丸めて自室に引き篭もった。ひとりになってみると、あらためてモントリーの病状が気になった。






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