* この物語はフィクションであり、登場する人物、企業、
団体、一部政府機関の名称は架空のものです(著者)。




第十一話




  プラカノン地区は、チャオプラヤ川の西南岸トンブリ地区とならぶ、バンコクに残された昔ながらの下町だ。高速道路を降りて、スクムビットをパタヤに向かって少し走り、101/1と表示された比較的大きなソーイに左折する。日本人が多く住む幹線道路も、ソーイ七十一とその先に横たわる運河を渡ると、街の趣はすっかり地元民の色彩に染め抜かれる。ソーイ専属のトラック改造バスやら乗合のピックアップが、表通りの角からのべつ発着しているほどスクムビット101/1は懐が深い。沿道の風景から商店が減り、住宅が延々と続き、いよいよ奥まってくると小さな町工場が目立ち始める。
 父と息子が自動カンナを融通しあう家具工場、片腕の親爺がひとりで営業している板金屋、路上にミシンを置いて商売に精を出す繕い屋の小母さん。
 この界隈は、地域に密着した職人衆が数多く住んでいる。

 古い一軒家の前で、島崎はBMWを停めた。
 「昔おれが住んでいた下宿屋。ちょっと用事があるから寄っていくけど、来るか?」
 気乗りしない調子で島崎は言ったが、有佳に断る理由はない。姑のような面持で助手席から身を起こした。
 白いペンキを塗ったブロック塀の天辺には、泥棒よけの砕いたガラス片がささくれ立っている。くぐり戸になった門扉の南京錠を島崎が合鍵ではずしたので、有佳は用心深く、マンゴーの樹が植わる狭い庭先に足を踏み入れた。平屋建ての母屋は、煤けたチーク材でできていた。
 「おう、お母さん」
 母屋の蔭の水場へ回り込み、金盥で洗濯している髷を結った老女に、島崎はそんな調子のタイ語で声をかけた。
 「あら、チマじゃないか。珍しいね」
 タイ式タンクトップに巻きスカートといったいでたちのおかみさんは、痩せているけれど、年はまだ六十前後で、色白だった。
 「当月分の家賃を払いにまいりやした」
 きょとんとする有佳の前で、島崎は赤い百バーツ紙幣を七八枚、家主に握らせた。
 「あんたは律儀だね」
 「ない時は一年以上滞納するけれどね」
 おかみさんは、タオルで手を拭い、微笑みをたたえて現金を受け取った。
 島崎は有佳を省みた、
 「バンコクに来て最初に住んだ家だけど、じつはまだここの部屋を借りている」
 早い話が隠れ家だった。
 「それで、そこに・・・」
 塀越しに、野原になっている裏の空き地を指した島崎の人差し指を追い、
 「あっ」
 と、有佳は声をはりあげた。
 「いつもタダで駐車場代わりに使わせてもらっているんだ」
 シリンダーの歪んだバックホウが野ざらしになっていた。島崎は舌を打ち鳴らした、
 「しかし、あのタヌキ親爺。人がちょっと甘い顔を見せるとすぐこれだ」
 野原のバックホウは、古い牽引車の荷台に固着されていた。井坂は老朽化した牽引車も、島崎にまとめて捨てさせる気でいるらしい。
 「可愛い子じゃないか。だれだい?」
 曳き売りの屋台で買った果物を皿にのせ、おかみさんが縁側からふたりを呼ばわった、
 「親戚の娘さんかい?」
 見様見真似で、有佳はおかみさんに合掌した。
 「まあ、そんなところです」
 年輪を重ねた女に能動的な嘘をつくほど島崎も子供ではない。おかみさんもそれ以上、余計な詮索をしなかった。ムゥ・ヤーン(豚の串焼き)を焼く煙が、しきりに辻から漂ってくる。遠くから、サッカーに興じる子供たちの賑やかな歓声が聞こえてくる。自転車でパラレル付きの冷凍ボックスを押すアイスクリーム屋が、毎度お馴染みのテーマ音楽を流して通り過ぎていく。縁側の軒先で日本製の風鈴が鳴った。
 「のどかなところだろう」
 西瓜を手にして、誇らしげに島崎が言った。経済危機も、七十年代の急成長以前と変わらない自分たちのペースを守って暮らしているプラカノン界隈の人びとにはまるで無縁だった。
 「康くんの部屋が見たいな」
 パイナップルを一切れ呑み込んで、有佳が言い出した。要求らしい要求を、有佳が突きつけたのは、昭和と平成を通してこれが初めてだった。
 「何もない部屋だよ」
 西瓜を頬張る男は抑揚に乏しい口調で言った。
 「部屋を見せて」
 いつになく有佳は強引だった。仕方なしに島崎は立ち上がり、屋外から直接入れるドアの一枚を顎でしゃくった。六畳ほどの広さの部屋は、羽目板の床に分厚いマットレスがひとつ置いてあるだけで、実際のところ、面白そうな品物は何も見当たらなかった。
 「ここで寝ているの?」
 「寝るときは蚊帳を吊るして、扇風機を回しっぱなしにする。殺虫剤もたっぷり撒くけれど、毎晩赤蟻さんに苛められる」
 赤蟻に皮膚を食いちぎられると、ズキズキ痛いこと半端なものではない。しかも、その猛攻を防ぐ手立てはない。さしあたり、殺虫剤を撒いて室内の連中を退治しても、外から新手が続々攻め込んで来るからだ。
 「あら。ここ、床板が浮いているわよ」
 「床には手を触れるな」
 刹那、島崎は怒声を放ち、険しい面持で有佳を制していた。
 「いや、いいんだ。あとで自分で直すから」
 「びっくりした」
 「さ、長居は無用だ。縁側にもどろう」
 有佳の薄い肩を押しこくり、島崎はドアを施錠した。裏の原っぱへ回るには、一旦表の路地に出なければならない。路地に出たところで、威勢の良い金切り声が呼び止めた、
 「あら、チマじゃない」
 向かいの家の女房だった。
 「おう、メオさん。相変わらず元気そうだね」
 ところが性急な女はあたふたと玄関に駈け込み、叫んだ、
 「ちょいとおまえさん。チマが来ているよ」
 中からのっそり熊みたいな亭主が出て来た。
 「お、本当だ。一体どういう風の吹き回しだい、ええ」
 編み笠を背中にぶら下げ、茶色く日焼けした顔がにこにこしている。
 「景気が良さそうだな。トゥム」
 向かいの住人は、土木作業員の親方だった。仕事の合間に、遅い昼飯を採りに、近くの現場から帰宅していたらしい。
 「ちょうどよかった」
 大きな男は言う、
 「裏のユンボ、おまえのだってな?」
 「まあな」
 「ちょっと貸してくれ」
 「シリンダーが曲がっているぞ」
 「マイペンライ。親会社がタイヤローラーを余所の現場へ持って行ってしまったんだ。舗装前の締固作業に使うだけだから、キャタピラが生きていれば問題ないよ」
 これで、バンコクの道路に陥没事故が多い理由がよくわかる。
 「幾らで貸す?」
 どうせ捨てるつもりだった。
 「貧乏人からカネは取れないよ」
 「恩に着る」
 トゥムの若い衆が慣れた手つきでバックホウを牽引車から引き摺り下ろした。このまま薄いコンクリートが敷かれた一般道路を走って現場まで行く気でいるらしい。タイである。何を言っても無駄なので、島崎は黙って点検作業の成行きを見守った。ややあって旋回機の上からトゥムが功名顔で叫んだ、
 「作業装置はまだ動くぞ。ブレーカ代わりならじゅうぶん使えそうだ」
 日本みたいに建造物の解体作業に行政の細かな指導が行き届いていない国である。井坂に見切りをつけられた機械は、現場作業員たちによって、補助機としての生きる道が与えられた。
 「あとで牽引車の荷台へ戻しておく。また借りに来るよ」
 「ちょっと待て。なんだよ、“また”ってのは?早々に移動しないと母さんに迷惑がかかる」
 すると、塀の蔭からひょっこり顔を出しておかみさんが言った、
 「あたしなら構わないよ。ここは遊んでいる土地だしね」
 結局、不法投棄はうやむやになる雲行きだった。
 トゥムは、せめて借り賃代わりに、と言って、余った弁当を二食置いていった。発泡スチロールの容器の中には鶏肉のバジル炒めを盛り付けた汁かけ飯に、不細工な目玉焼きが添えてあった。
 「おれらも昼飯まだだよな。ほら、遠慮しないで食べちゃいな」
 飢え死にが有り得ない社会とは、ようするに、こういうことである。すでに“タイ化”がはじまっている有佳は、癖のある香草とナムプラ−(魚醤)の匂いに物怖じせず、スプーンとフォークを両手に持った。
 「ネギ。それにしてもおまえ、タイ飯なんか、よく何の抵抗もなく食べつけるね」
 食べながら、呆れた顔で島崎は言った。
 「そう?はじめは抵抗あったけど、なれてくると結構おいしいよ」
 グルメという名のゲテモノ食いに狂奔している親をもつ平成の小学生ならいざ知らず、有佳には奇妙な味覚への順応性があった。手早く空腹を満たすと、島崎はまだ食べ続けている有佳にいった、
 「じゃ、ちょっくら働いて来るから、ここで待ってな」
 「でも、捨てる機械、小父さんたちが持って行ったんでしょう」
 「牽引車のほうも点検してみる。昨日ラマ九世通りからここまで走ってきているんだから、もしかすると、まだ使えるかも知れない」
 「あたしも行くわ」
 有佳は、あわてて残ったご飯をたいらげた。正座して、小さなおにぎりを食べていた当初に比べて、ずいぶん行儀がわるくなっていた。
 雨季には広大な沼地になる原っぱも、乾季の地盤はなかなか硬い。島崎は、気持ちよく、牽引車を走らせた。低速走行する時、クラッチが滑るけれど、この車両もいますぐ廃棄処分にしてしまうのは、ちょっと可哀想な気がする。
 「ネギも運転してみるか?」
 島崎は隣で退屈そうにしている有佳に真顔で訊いた。
 「できないよ。免許ないもん」
 「ここならおまわりも来ない。車の運転は、大きいので練習したほうが早く覚える。せっかくの機会だから、やってみな」
 「あたしには無理よ。だって、遊園地のゴーカートだって怖くて乗れないのよ」
 「良い指摘だ。これはゴーカートみたいに勝手に走り出すことはない。教えてやるから、運転席に座れ。おまえは三十三歳だろう?」
 厄年の有佳は、言い出したらきかない康士の性格をよく弁えていた。仕方なしに大きなハンドルを握ると、目を見開き、顎を突き出した。しかし、数回のノッキングとエンストを経て、有佳は大きな車をそれなりに前に進ませるようになった。
 「けっこう巧いぞ。ネギは運転の素質があるな」
 「おだてないで」
 「おだてているんじゃない。これは公正な評価だ」
 「話しかけないで」
 ぴしゃりと言った。目を三角に吊り上げる女子小学生にトレーラーを運転させて、島崎は悠然と助手席でタバコを吹かした。
 「きゃっ、猫!」
 はるか前方を横切る四足の影に、有佳は咄嗟に急ブレーキを踏んだ。すさまじい衝撃で、島崎はフロントガラスに額をぶつけたが、シートベルトをつけていた運転手に被害はなかった。
 「これが、理科で習った慣性の法則である。おお、痛え。普通車に比べて加重が大きいんだから、今後、大型トラックを運転する際にはくれぐれも気をつけるんだぞ」
 「もう、ぜったい運転しないよ」
 不貞腐れたように口を曲げ、有佳が牽引車から這い降りると、象がいた。原っぱにできた水溜りで、のんびり水浴びをしていた。
 「象がいる」
 「うん。象がいる」
 有佳はすでに象を見てもいちいち驚かなくなっていた。
 「あのね、康くん」
 興奮が冷めた調子で有佳はいった、
 「アパートの前で象を見たときに思い出したの」
 「あの親子象?」
 ラップラオ六十四ソーイを歩いていた二頭の象を島崎は回想した。
 「うん」
 今思うに、それが有佳が現代に心をひらいた瞬間だった。
 「上水遊歩道で気分がわるくなったとき、ガチャ子の声が聴こえていたの」
 「ガチャ子だって!」
 ガチャ子というのは吉祥寺にある御殿山恩賜公園の動物園で飼育されている象の老嬢の名前である。だが、島崎の目にはしった珍しい狼狽の瞬きを、有佳は見落としていた。
 「そう。象のガチャ子さん」
 ガチャ子は、有佳が知っている時代からすでに動物園の最古参だったが、平成の現代にいたってもなお流動食で生き続け、新しい時代の子供たちに愛嬌を振りまく、現役である。
 「平成の康くんは、あの象のことを、覚えている?」
 「なんて言ったらいいのかね」
 島崎の表情は、複雑だった。
 「ところでさ。ネギはガチャ子さんがタイから来たって知ってる?」
 「うん。幼稚園のころ、お母さんが教えてくれたよ」
 「ふうん。けっこうインテリなんだな、おまえさんのママって人も」
 教育熱心な冴木家の両親は、揃って洗練された市民だったらしい。
 「お母さんもガチャ子が好きみたい。よく弟と御殿山動物園へ連れて行かれるのよ」
 思い描いた象舎の前で有佳とはしゃぐ、のっぺら坊の婦人と同じく顔のない小さな男の子の姿が、しばし、島崎の興味を惹いた。
 「ネギは、おれに引導を渡した」
 「どういうこと?」
 「まあ、聞きねえ」
 一人合点する男は、観念しきった笑顔で言った、
 「昭和二十四年。ちょうど朝鮮で戦争が始まった頃、東京に二頭の雌象がやって来たんだ。一頭はインドのネルー首相が贈ってくれたインディラ。そしてもう一頭が当時二歳の赤ちゃん象だったガチャ子。でも、ガチャ子の贈り主って、ほとんどの日本人は知らないんだよな」
 「そう言えば知らないわ、あたしも」
 有佳は首を傾げ、 
 「康くんは知っているの?」
 「うん」
 「どんなひと?」
 三時前だった。チャトチャクにステファニーが帰るのはいつも深夜である。門限まで、まだ時間はたっぷりあった。
 「話せば長くなるよ」
 島崎は手短かに前置きした。


 ・・・・

 丸い窓いっぱいに青くひろがっていた南シナ海に、小麦色の大地が鬩ぎ寄って来た。インドシナ半島である。中部ベトナム、ダナン市上空三万三千フィート。あと一時間を切ったバンコクの到着時刻を告げる機長のアナウンスが流れ、複写式の出入国カードが配られた。旅行の目的は“観光”の項目に印しをつけた。赤い大判のパスポートを携えて、職業欄にSTUDENTと書き込む島崎康士は二十歳だった。
 ニューヨークヤンキースのキャップをかぶり、島崎は日本人にまるでチェックを施そうとしない税関を素通りして、賑やかな入国ロビーに出た。群がる白タクドライバーを押しのけて、灰色のサファリスーツを着た現地人の中年男がにこやかに歩み寄り、流暢な日本語で言った、
 「扶南銘木店のポーンといいます」
 微笑こそ絶やさないが、ポーンと名乗った男は、しかしニューヨークヤンキースのキャップをかぶる人物があまりにも若いので、ちょっと戸惑いを隠さなかった。学生は事務的な口調で淡々と訊いた、
 「麝香は今日中に手に入りますか?」
 ほっとした面持でポーンは島崎を手招きし、陽気に答えた、
 「麝香には香炉が必要でしょう?」
 タイの政治は、しばしば空模様が大きく変わると聞いている。当初の予定は取り止めになったらしい。ジーンズのポケットに政府要職者へ直接手渡すべき密書を二通しのばせていた若者は、ポーンの後ろを歩きながら一方の封筒を破り、手近な屑箱に捨てた。
 急遽変更されたプランに身をゆだねた島崎は、スクムビット五十三小路に住む、ソムチャイ・ポラカンという人物の邸宅へ案内された。だが、タイ政界の要人の氏名をひとしきり暗記している若者にとって、それは初めて耳にする名前だった。一時間余りのドライブを終え、車のエンジンを切りながらポーンが言うには、眼前に現れた水色の母屋を檳榔樹の葉がすっぽり覆い尽くす瀟洒な屋敷も、じつは借家とのことだった。
 昼寝から覚めたような青い蛍光灯が燈る居間で、古武士風の面構えの老人が、甘い煙の葉巻をくわえ、テレビのくだらないバラエティ番組を観て笑っていた。よく見ると、下半身はブリーフしか穿いていない。ずいぶん、頼りない人物であるような気がした。島崎は落胆したが、上部組織の意向は絶対である。襟を正して、ジーンズから残った書簡を取り出すと、だらしない老人の前に歩み出た、
 「本国より通産大臣の書簡を預かってまいりました。自分は、萌草会対アジア政策立案推進部会、インドシナ班付け広報調査員の清水和彦であります」
 老人は、名乗りをあげる前に長い肩書を並べようとする若き組織人間の面貌を見て、にわかに眼を見開いた、
 「シマザキ?」
 非凡な老人は驚愕していた。
 「は?」
 疑わしげにソムチャイは、初めて引見した日本青年の顔をしげしげと眺めている、
 「変名など名乗らずともよい。きみの本当の名前はシマザキというのではないか?」
 突発的な面会とは言え、あらかじめ事態を見越していた事務局から連絡が入っていることも考えられる。だが、興奮の色を隠そうともせず、タイ政界の日陰で生きる古老は、不思議な独り言を口走った、
 「どうしてきみは若いのだ?いや、シマザキは死んだはずだ」
 初対面の相手の前で、ずいぶん不吉なことを言うボケ老人だ、と白けながらも若者は頷いた、
 「いかにも、本名は島崎と申します。しかし」
 すると老人は毅然とした態度で身を乗り出した、
 「息子...?いや、孫だ。きみは島崎康吉少尉の孫だな?」
 今度は若者が驚く番だった。元タイ陸軍大尉のソムチャイは、第二次世界大戦という時代の中で祖父・島崎康吉と親交があったと言い出したのだ。


   ......

 すでにエンジンはじゅうぶん暖気され、プロペラが回っていた。
 「なあ、保田」
 夜陰のなかで飛行帽から眼鏡をおろすと操縦席の男は言った、
 「なんの因果で陸軍の飛行機乗りがこんな真夜中に海の上を飛ばなきゃならないのかね?」
 作業帽のつばを摘まみ、首にかけた手ぬぐいで顔に付いた機械油を拭いながら、主翼の付け根に腰を屈める強面の曹長が野太い声で怒鳴り返した、
 「知らん。海軍さんがどこかに出払っているのや。陸軍の仕事は陸軍がやる。当たり前の理屈だぞ」
 耳を劈くばかりのエンジン音と波長を同じくする機付き長とは対照的に、パイロットの間延びした声がくぐもる。
 「洋上は大雨だって言うじゃないか。ああ、行きたくないなあ。くわばらくわばら」
 「貴様の機は俺が手ずから整備してやったのだ。飛んだはいいが、勝手に発動機が止まって海に落ちるようなことは、断じてない。安心しろ。さあ、つべこべ言ってないでさっさと飛ばんか」
 このとき、海軍航空隊の精鋭は六隻の航空母艦とともに北太平洋海域にあったのだが、ひとしきり説教を済ませて地上に飛び降りる整備班長は、国家の最高機密など、もちろん知る由もない。
 「しっかりやって来い!」
 「あいよ。せいぜい武運長久を祈ってくれや」
 あくまでも口元を不謹慎に緩めたまま風防を閉じる兵科の異なる戦友に、しかめっ面の保田孫一曹長は、いつになく、恭しい敬礼を捧げた。
 嵐の前の静けさ、という言葉があるけけれど、その晩、タイランド湾は折からの烈しい驟雨に見舞われていた。仏印コーチンの飛行場から七機の一式戦闘機隼が脚を主翼に引き込みながら南西の夜空へ舞い上がった。五日前、海南島の三亜港からバンコク進駐を仄めかせて黒煙沖天、舳艫相ふくみ、タイランド湾へ進出した日本陸軍の高速輸送船団がある。七機に与えられた任務はその船団護衛であった。

 雨上はあがっていた。満天の星空のもと、船団を護衛し針路をバンコクへ向けていた重巡鳥海の艦橋に伝声管の声が響いた、
 『英軍偵察機、引き返します!』
イギリス軍機退散の報が、ただならぬ緊張を洋上の全軍に迸らせた。
 「よし」
 立ち上がり、船団の司令官は叫んだ、
 「面舵いっぱいっ!針路反転百八十度!」
 にわかに色めきだつすべての艦船のブリッジで復唱が乱れ飛ぶ、
 「転針!南へ!南へ!」
 山下奉文中将率いる第二十五軍四万の将兵を乗せた輸送船団は北へ向けていた船首を一斉に南へ転じた。

 銀色の月光が、藍色の夜空に冴えわたる。編隊の最後尾につく空冷14気筒のエンジン音は快調だった。
 「まいったねえ」
 翼の下の大海原で繰り広げられる堂々の反転運動を眺めながら、アクリル風防の中の男は索然と白い歯をのぞかせた、
 「とうとう、はじまっちまったねえ・・・」

 “ヒノデ ハ ヤマガタ”。

 それは、欧米列強による植民地支配という三百年来のパラダイムに、維新からわずか半世紀余りの一有色民族が挑戦状を叩きつけた瞬間だった。
 山下兵団主力から先行するふたつの分遣隊は、間もなく重厚な鉄条網と防塁陣地が構築された英領マラヤのコタバル海岸、ならびに英軍支配下のタイ領パタニ海岸へ、敵前上陸を敢行した。
 まず第十八師団が受け持つコタバル海岸で、のちに「海の二〇三高地」と呼ばれることになる激闘の幕を切っておとした。緒戦において揚陸前の輸送船が数隻陸上からの重砲弾で沈められ、無数の上陸用舟艇が木端微塵に吹き飛ばされた。辛うじて海岸線に辿り着いた将兵も待ち受けていたトーチカから吐き出される機関砲弾でばたばたなぎ倒されていく。夜明け前の青い砂浜では彼我の砲弾が錯綜して、のべつまくなしに真紅の炎が椰子の木を地表からもぎ取った。日本軍は敢闘の精神が徹底していた。
 凄絶な砲火をかいくぐり、泰然自若と鉄条網を切り裂き血路をひらいて決死の肉迫をはかる兵士の群れが、手榴弾で次々と海岸線に築かれたトーチカを沈黙させていく。中には、一身を以って肉弾となり英軍陣地もろとも自爆する勇者もあった。
 ややあって第五師団が殺到したパタニでもコタバル同様の激闘がはじまった。日本軍は白兵戦に滅法強い。黎明の空を背に部隊長の軍刀が閃光を放ち、鬨の声で勢い付く銃剣突撃は、徐々にユニオンジャックを内陸部へ圧倒していった。
 時に、昭和十六年十二月八日早暁。同じころ北太平洋海域では、海軍機の大編隊が旭日に銀翼を煌めかせ、アメリカ太平洋艦隊の一大拠点ハワイ真珠湾へ乾坤一擲の殴り込みをかけていた。
 内地では、ラジオを通じて対英米開戦の大詔が煥発せられ、日本は運命の時代へ突入したのである。

 タイ領のシンゴラ海岸は灯火管制も行われていず、静謐を保っていた。近衛師団と第五師団の一部から成る主力部隊を率いる山下中将は、苛烈なふたつの戦地へ赴いた第十八師団と第五師団主力の部下たちにしばし瞑目し、いきおい波打ち際に飛び降りた。山下軍の主力はシンゴラの英国領事館を難なく制圧すると、タイ領内を西進し、ハジャイの街からサダオを通過して英領マラヤへ入境、戦車隊を先頭に押し立てて攻略に数週間を要すると考えられていたジットラ要塞を一晩で突破し、一息にケダ州の州都・アロルスターまで前線を進めた。歩兵は将校以下のほとんど全員が自転車に跨っていた。コタバル、パタニから上陸した部隊も、同じく自転車で東海岸と中央山系をひたすら南下する。こうして銀輪部隊を核に据え、東西幾つもの方面に分散して遮二無二赤道めがけて突進する第二十五軍が収斂する先は、大英帝国の東亜経営の牙城・シンガポールだった。
 かくして人力による電撃戦、世に言う「マレー・シンガポール攻略戦」が発動された。のべ二十万の英印軍が十重二十重の縦陣を構築して待ち構えるマレイ半島で、日本軍は世界の戦史に特筆される破竹の進撃を開始したのであった。
 しかしこの華々しい快進撃を尻目に、シンゴラ海岸から上陸した日本軍の一支隊は、タイ領内を隠密裏に北上していた。分遣隊はマレー半島が顎のような格好で最も細く縊れたチュンポン県で進路を西へ転じと、東のタイランド湾と西のアンダマン海に挟まれた東西四十七キロの隘路にもぐりこんだ。半島につらなる山系を寸断し、深い密林に覆われるこの渓谷はクラ地峡と呼ばれている。その地峡を西岸へ抜けるとラノン県だった。楔のような格好の狭いラノン湾が南北に横たわり、対岸の岬は英領ビルマである。そして、この岬の突端に設けられたイギリス空軍の戦略拠点ヴィクトリア・ポイントが支隊の攻略目標だった。
 折りしも東部マレークアンタン沖合いでイギリス極東艦隊のプリンス・オブ・ウエールズとレパルスが日本の海軍機の攻撃によって撃沈されている最中、ラノンに駐屯するタイ警察軍は騒然となっていた。事前に日本政府からタイ国政府に対して、軍事行動の認可を打診する動きがあったとは聞かされていない。しかし日本陸軍の一部隊が目と鼻の先まで「侵攻」して来ている。
 __ どう対処すべきか?
 タイ国はアジアで急激に勢力を延ばしはじめた日本の圧力に屈する格好で、英米の顔色を伺いながら攻守同盟の調印に応じる雲行きでる。それでも中立にこだわるタイ政官界の主流派はもともと同盟に本意ではないので、いまや後戻りのできない戦争の遂行に踏み込んでしまった日本人とは条文の解釈にずいぶん隔たりがあった。あまつさえ、開戦前後から姿をくらましている少壮の首相、ピブン・ソンクラムの行方は杳として知れない。
 同盟国への軍事的協力は、受身側であるタイ国民に対してまったく説得力を持ち合わせていなかったのだ。ラノン駐留タイ警察軍は、自分たちの判断で、国家の主権を保つべく、「侵略軍」の前に立ちはだかった。
 一方、日本人の苛立ちも頂点に達していた。とりわけて暗黙の信義を重んじる民族にとって、はぐらかしが常習化しているようなタイ人の態度は重大火急の局面において到底容認できるものではなかった。タイとの全面戦争も辞さず。かくして両者のあいだで戦闘がはじまった。しかし兵力、装備、錬度いずれの点においも日本陸軍は貧弱なタイ警察軍の歯が立つ相手ではなかった。タイ側は日本軍の果敢な猛攻の前に、ひとり、またひとりと倒されていった。
 出足から翳りが見えていた日タイ攻守同盟は、いまや風前の灯だった。

 バンコクは、深夜だった。
 チャオプラヤー川にほど近いスリウォン通りに開設された日本陸軍の司令部に、タイ王国陸軍の制服を着こなすひとりの偉丈夫がやって来た。連絡士官はソムチャイ・ポラカンという若い大尉だった。父、ナロンリット・ポラカン元経済相とともに、攻守同盟の立案に積極的に取り組んだ、マイノリティ・親日派のひとりである。
 そもそもポラカン家は王族の傍系に名を連ねており、家系図を紐解くと、政治家や、婦女子だとタイ赤十字社の歴代総裁の名前が目立つ。そんな非凡な血脈の中でもソムチャイはひときわ風変わりな存在だった。若殿は、もともと毒ガスを研究していた化学者である。パリのソルボンヌ大学に留学していた頃はラジウムの発見者として知られるキューリー夫人に師事していた時期もあった。一方、武芸にも類い稀なる才能をしめし、フェンシングは並み居るフランスの剣士を総なめにするほどの腕前だったという。ところが、父ナロンリットが数年前のクーデターで政権を追われて日本へ亡命したおり、これに同行したソムチャイは人生を大きく変えてしまった。化学者になるはずの若者は、武人として生きる道を選んだ。方向転換のきっかけは日本で接した武士道だったという。

 スリウォンに司令部を進出させていたのは、開戦後間もなく、アランヤプラテート(現在のカンボジア国境)を経由して進駐した軍団で、主将はのちに「ホトケの司令官」と日タイ両国民から渾名されることになる、仁将・中村明人中将だった。
 「閣下。ラノンで発生している一件は、ご存知ですね」
 深夜でありながら軍服姿でソムチャイ大尉を向かえた中村中将は、重々しく頷いた。
 「このままでは、取り返しのつかない政治的危機を惹起します」
 若い士官の言葉には、日本が英米のみならず、兵站基地のタイまで敵にまわしかねない情勢への憂慮が見え隠れしていた。大方のタイ人はあきらかに枢軸国より、連合国側との提携を望んでいる。ラノン事件が拡大すれば、当然反日勢力を勢いづかせることになる。そうなってしまっては、如何に王家の縁者と言えども親日派はまるで立つ瀬がない。
 「貴官が言うことはよくわかる」
 日タイの全面対決という最悪の局面になれば、日本の対英米戦の地理的戦略は根底から瓦解することになる。中村は慎重な沈黙で若者に意見をのべるよう、うながした。中将の意を汲んでソムチャイはいった、
 「かくなる上は、目下サイゴンに在らせられる寺内南方軍総司令官閣下に事件の収拾を計って戴くよりほかにありません」
 「しかしこの時刻だ。いま電報を打っても、閣下のご裁可は早くとも明日の朝以降に持ち越されよう」
 「では、トリックを用いましょう」
 言いながらソムチャイは同盟国の将軍に近づき、二言三言、耳打ちした。温厚な中村の丸い眼鏡が、鈍く光った。身を引き離すとタイ陸軍士官は毅然と迫った、
 「万事、小官にお任せください。事は一刻を争います。ご決断を!」
 「わかった。責任は私が取る。すぐにかかってくれ」
 時を移さず、ラノン事件が不幸な誤解の上に惹起された“突発的な事故”である、との両国軍最高司令官の声明がラジオを通じて発表された。タイ側は連絡の不徹底を日本に詫び、日本側は戦死したタイ警察軍将兵の遺族に対して見舞金を支給することで、一件は落着している。もちろん、この決定はソムチャイと中村の独断であり、サイゴンの寺内寿一元帥は、あくる日の朝一番で事後報告の電報を受け取り、「自分の見解」を知ったという。






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